2011年10月講座
「野田政権の課題と日本政治の行方」
政治アナリスト
伊藤 惇夫 氏
この5年間、永田町は夏になると毎年大騒ぎをしております。自民党時代は二人続けて夏に、総理が辞任しました。最後の自民党総理、麻生さんは夏から秋にかけて解散するのしないので大騒ぎ、そして政権交代。少しは落ちつくかなと思ったら、民主党政権になったもののすぐ鳩山さんが夏に辞め、菅さんが今年6月に辞任騒動を引き起し、結局8月末に総理交代という事態になりました。
私は時々テレビにも引っ張り出されるんですが、最近、安藤優子さんとやっている番組で、CMの時間に雑談をしていたら安藤さんから「伊藤さん、民主党の事務局長をやっていたんですよね。それなのに何でそんなに民主党に厳しいんですか」という質問をいただきました。その場では「愛の鞭です」とお答えしたんですが、私は新民主党立ち上げから約4年間事務局長をやっていましたので、民主党に対してはそれなりの思いを持っております。政党事務局ばかり約30年渡り歩きましたが、政党事務局というのはまさに裏方で、与党と野党では天国と地獄ぐらいの開きがあります。
自民党が野党に転落して2年たちますが、その前にも1回、1993年の細川内閣のときに10カ月間野党に転落したことがあります。そのときはまだ私も自民党の事務局におりましたので、自民党が天国から地獄へ突き落とされる場面を目の当たりにしました。与党時代は陳情客、マスコミ、役所の連中がいっぱい来ていたのに、野党に転落した途端に陳情はゼロ、マスコミが大体3分の1になりました。
今は参議院がねじれですから、それほど与党が強力だとは言い切れません。役所でも野党に対する配慮を随分しているだろうとは思いますけれども、陳情というのは与党にするしかありませんから、そこから導き出される結論は「与党イコール権力」です。権力というのは、監視の目を緩めると必ずと言っていいほど暴走します。だれもチェックしていないと思うと、自分の好き勝手なことをやり始めますので、それを厳しく監視するのが野党です。
マスコミの役割も大きいと思います。マスコミが与党に迎合するようになったら終わりですから、与党に対しては常に厳しく監視することが大事です。でも、最終的には有権者の皆さんがその政権を冷静に客観的に評価をして、この政権ではだめだと思ったら次の選挙のときに自分たちの手で政権交代を実現するというのが、一番大事なチェック機能なんです。
私は、チェックされる側からチェックする側に回り、今はマスコミの世界の端っこでチェックする立場ですから、基本的に与党に厳しいんです。与党に<7>厳しく野党に<3>厳しいぐらいでちょうどバランスがとれると思っておりますので、自公連立政権時代も、かなり厳しい論調だったと思います。
元気のよかったころの自民党は、選挙のときに解散から投票日までの間にテレビに出てしゃべっている人間を、何回出てきて自民党に対して好意的か、中立的か、敵対的かというのを全部チェックしていました。あるとき集計したリストが会議に提示されたらしいんですが、私は見事にワースト5に入っていたそうで、それぐらい自民党にも厳しい物言いをしていました。このスタンスは、民主党の事務局長をやっていたからといっても変わりませんで、民主党が政権をとってからはかなり厳しい物言いをしてきたと思いますが、それは民主党への思いがあるのと同時に、民主党の危うさみたいなものを何とか抑えたいという思いもあったからです。
野田政権が誕生してかれこれ2カ月になりますが、菅さんから野田さんへの政権交代について、おさらい的に検証をしてみたいと思います。
せんだっての代表選挙は、それ以前の代表選挙に比べて大きな違いがありました。それは、小沢一郎さんという政治家が主役の座から下りたことです。もちろんまだ非常に強い影響力を持っていますから、主要闘将人物の一人ではありましたけれども、主役ではなくなりました。
2009年5月、小沢さんが政治と金の問題で代表を下りたときの代表選挙は、次に総選挙があれば民主党が政権の座に着くだろうということが8~9割確実な状況でしたから、ある意味、次期総理を選ぶ代表選挙でした。このとき立候補したのが鳩山さんと岡田さんで、当時の世論は圧倒的に岡田支持でした。にもかかわらず、小沢さんがいわば自分のダミーとして鳩山さんを支持して擁立したことによって、鳩山さんが勝利をおさめました。この時は完全に小沢さんが主役でした。
なぜ小沢さんは鳩山さんを支持したのか。岡田さんという人は非常に生真面目で頑固なタイプですから、たとえ小沢さんが何か言っても、岡田さん自身が納得しなければ言うことを聞きません。さかのぼると、実は岡田さんは小沢さんの愛弟子で、新進党時代までは、小沢さんが岡田さんを非常にかわいがっていたという経緯があるんですが、その後たもとを分かって、今、二人の関係は決していいものではありません。したがって、小沢さんが世論の動向にさからって鳩山さんを支持した一番大きな要素は「鳩山ならコントロールできる」ということだったような気がします。
2009年9月の代表選挙のときは、小沢さんは本気で参戦していませんでした。小沢グループは樽床さんを一応担ぎましたけれども、本気ではありませんでしたので、ここは1回お休みという感じでした。
昨年9月の代表選挙は、菅さん対小沢さんの戦いでした。私はこのとき、もともと刑事被告になることが間違いない小沢さんが出馬したことを非常に疑問に思いました。菅さんが勝ったのは、民主党内での「嫌われ度」が小沢さんのほうが高かったからです。前原さん、枝野さん、岡田さん、野田さん、仙石さん、玄場さんという今の政権中枢の人たちが全員菅さんを支持しましたが、つまりは小沢さんを復権させたくないために菅さんを担いでしまったわけです。ここまで小沢さんは常に主役でした。
ところが、今回の代表選に限って見ると、小沢さんは主役の座から下りています。確かに出馬した野田さん、前原さん、狩野さん、馬淵さんは、皆さん小沢詣でをしていましたけれども、それは結果的に小沢さんの支持がもらえればめっけもので、だめならだめでいいというスタンスで、小沢さんを傍らに置いて横目で見ながら独自で代表選挙をスタートしていました。小沢さんは仕方なく最後に海江田さんを担いだわけですが、これではモチベーションが非常に弱い。小沢グループの皆さんは、今の民主党の中では一番結束力が強いことは事実ですけれども、親分が仕方なく担いだことがわかっていますから、親分に言われたから入れるというだけで、ほかのグループや無所属の皆さんに強烈な働きかけをして海江田さんを当選させようという運動は全くしませんでした。
ですから、私は野田さんが勝つんじゃないかなと思って、代表選の前からそういう発言をしていました。これは民主党の内情をある程度肌感覚でわかっている人間だったらわかっていたと思います。海江田さんは票が伸びないとすぐわかります。前原さんは、世間の人気は非常に高いのですが、党内人気は低いです。政治の世界というのは妬み嫉みの世界なので、常に人気者で日の当たる場所を歩いてきた前原さんに対しての反発がものすごく強い。だから、前原さんが立候補しても前原グループの支持は広がらないことは大体わかります。そういう要素を考えていくと野田さんになっちゃうのかなと思っていましたので、当日の朝テレビでだれが勝つかインタビューを受け、「野田さんだよ」と言ったら、そうなってしまいました。
もちろん野田さんの勝因はほかにもあります。あまりメディアを通じては語られていない点をいくつか挙げると、一つは、野田さんは半年以上前から完璧に代表選に向けて動いて長期戦をやっていました。輿石さんには代表選になってから3回会っていますけれども、それ以前にもかなり早い段階から何度も会っています。それ以外の旧民社党系のグループとか、さまざまな無所属のリーダー的な存在の人たちにもネットワークをつくり上げていました。深く静かに先行して、時間をかけて陣営を構築したのが勝因だったというのが言えます。
もう一つ、財務省が全面支援したことも無視できない要因だったと思います。財務省は企業や団体等に対する直接、間接の影響力を非常に強く持っていますから、勝事務次官を中心にそういう働きかけをかなり熱心にやっていたことも間違いありません。
あと一つは、前原さんが立候補したことです。逆説的な言い方になりますけれども、もともと前原さんとか仙石さんは、今回は野田支持に回って、つなぎで野田さんを総理にしようということで動いていました。これは事実です。ところが、前原グループの中には野田さんなんかいやだよという人がかなりたくさんいた。それで出ないと言っていた前原さんが突然出馬を表明した。そのことによって前原グループはきっちり固まって、1回目の投票で全員前原さんに入れました。そして、それがばらけないうちに決選投票になってしまった。多少は抜け落ちましたけれども、大多数がそのままの勢いで野田さんに投票した。これが野田さんの勝因のかなり大きな要素になったことは間違いないと思います。
前原さんが立候補して、一時は野田さんはもうこれで芽がなくなったとか、立候補を取りやめるんじゃないかと言われていましたけれども、彼は一度も辞める気はなく一貫していました。ですから、前原さんが飛び出したことによって野田さんの勝利に結びついたという非常に皮肉な結果になったと私は見ております。
一方、主役になれなかった小沢さんは、結果的にこの代表選挙で3連敗です。小沢さんが代表選で負け続けることにはいろいろな要素がありますけれども、最大の要因は、小沢グループの中に「玉がいない」ということです。小沢グループには後継者になりそうな候補者が一人もいません。自分のグループからだれかを出せないところが小沢さんの非常に大きな弱点です。だから、前々回の代表選挙のときも自分で出ざるを得なかったわけです。
このあたりが、恩師である田中角栄さんと小沢さんとの一番大きな違いだと思います。小沢さんは、いろいろな面で田中さんから学んだことを実践している田中政治の伝道者みたいな方ですけれども、違う部分もたくさんあります。その一つは、後継者を全然育てていないことです。これまでの小沢さんは後継者になりそうな人間をどんどん切り捨ててきましたから、有力な側近と言われていた人たちは全部離れていっています。
一方の田中角栄さんは、田中さんの愛弟子の中から竹下、橋本、小渕、羽田と、4人総理大臣を出しています。ほんの一時期田中派に属していた細川さんを入れれば5人になりますから、派閥から出そうとしていたかどうかは別として、育てたことは間違いありません。かつての田中派は、親分をみんなで支えようという意識が非常に強かったので、派閥のお金も幹部連中がみんな集めていました。落選した議員の秘書は内輪で雇う互助会システムまでつくって、田中角栄という人間を中心に運命共同体的な組織体ができていました。
ところが、今の小沢グループを見ていると、小沢さんにひざまずく人間はたくさんいますけれども、支えようという意識とは大分違う。とにかく小沢という人はすごい存在だから、言うとおりにしていればいい、あるいはひれ伏している形でいいという感じが非常に強くします。ひれ伏している人間はなかなか成長しませんから、これが小沢さんを厳しい状態に追い込んでいる大きな要因じゃないかという気がしています。
さて、野田政権が発足して約2カ月。前の二人がひど過ぎたものですから、それに比べれば随分ましだなという見方が非常に強いので、野田さんは助かっているんじゃないかと思います。日米関係を再構築するに当たって最大の課題になっている沖縄の米軍基地の移設問題をここまでぐちゃぐちゃにしたのは鳩山さんです。その後に続いた菅さんの最大の問題は、なりたいだけの総理だったことです。なりたい一心で総理になったので、なってから何をやるかということが全くなかったんです。
私は総理大臣を「なったら総理」と「なりたい総理」の2種類に分けています。「なったら総理」というのは、総理になったらこれやるんだということを明確に持っているので、総理になることはあくまでも手段であって目的ではない方です。皆さんの評価は別として、私は、中曽根さんなんかはその典型だと思っています。ご本人から直接伺ったことがあるんですけれども、中曽根さんは昭和25年初当選で、総理になるまで35年かかっています。そして、初当選した直後から「俺は総理になる」と心に決めたそうです。心に決めただけだったら「なりたい総理」ですが、決めたと同時に、政策や政権の性格づけなど自分が総理になったらやることを毎日のように考えて、忘れないように大学ノートにメモしていた。実際に35年たって総理になったときに、その大学ノートを全部引っ張り出したら40冊ぐらいあったとおっしゃっていました。それだけの準備を重ねて目標設定した上で総理になっています。
残念ながら、菅さんはその真逆です。その証拠に、政権半年の去年の暮れ、支持者の皆さんを集めて「これまでは仮免だった」とおっしゃっています。これはマスコミ報道されている間違いない事実です。総理大臣というのは、なったその瞬間からこの国とこの国の国民の全責任を負うわけですから、仮免なんかで車を運転されたらたまったもんじゃない。仮免で立ち木にぶつけて「ごめん、ごめん、仮免だから」と言っても、許してくれる世界ではありません。同時に、仮免というのは教習所の回りをぐるぐる回っているだけで、どこかに向かって進むわけじゃない。まさに、なりたいだけで総理になった。なってから半年間は何をやっていいかわからなかったということを、ご自分で白状してしまった。それがあの政権の問題点の根本だと私は思っております。
その二つの政権、鳩山政権が国民の期待を粉々に打ち砕き、菅政権がその上を歩いて期待感をより小さい砂粒のようにしてしまったという状況の中で、野田政権が誕生したわけですが、私が個人的に野田さんと付き合っていて思いついた点をいくつか申し上げたいと思います。
私が野田さんと付き合うようになったのは、今から十数年前です。岡田克也さんに誘われてある勉強会に行きましたら、そこに野田さんも来ていました。7~8人の会合でしたが、野田さんは何もしゃべらないで黙々とメモをとっていました。それを見て、松下政経塾出身にしてはめずらしいタイプだなと思いました。政経塾出身というのは、大体が俺が俺がの出たがり、しゃべりたがりで、フットワークはいいけども軽い、そういう連中です。にもかかわらず、野田さんは全く前に出てこない。じっと人の話を聞いている。何か振られても一言か二言しかしゃべらない。そういう男なんだというのが第一印象でした。
政権をとってから「低姿勢」とマスコミは言っていますけれども、あれは今に始まった話じゃなくて、以前からあの人は低姿勢です。彼は自分の秘書にも敬語を使います。それは全然変わりません。ですから、「発信が少ない」とか「低姿勢過ぎる」というマスコミ報道がありますけれども、これは野田さんの性格がそのまま今の政権になっても現れているだけの話です。演説がすばらしいから、もっとべらべらしゃべる人だと思われたのかもしれませんが、もともと彼の演説は以前から定評があって、演説で同僚議員から涙を流させる人材は今の政界では野田さんぐらいだと言われていました。しかし、普段は本当に寡黙で、今の政権の座に着いてからもそれをそのまま継続しているだけだと私は見ています。
ただ、その一方で、野田さんという人はある意味で言うと非常にしたたかな方です。これは輿石さんを幹事長に据えたことにも象徴されています。野田さんが輿石さんを幹事長にしたときに、マスコミは一斉に「小沢側近を幹事長にした」とか「小沢さんの盟友が幹事長になった」という言い方をしていましたが、それは違います。小沢さんと輿石さんは決して盟友でも何でもない。輿石さんは小沢さんの子分でもないし、小沢グループでもありません。二人は利害が一致しているから手を組んでいるだけの関係です。輿石さんは、参議院民主党という自分の城を守りたいというのが第1目標で、城を守って権力を維持するためには小沢一郎を使えばいいという発想です。小沢さんは、参議院がいかに大事かを肝に銘じてわかっていて、参議院を取り込むことが自分のパワーになるという認識があるものですから、参議院のドン・輿石東と手を組んでいればプラスになるという発想です。利害だけでくっついていますから、どっちかが危うくなったときに体を張って救うなんていうことはあり得ません。
野田さんは多分そこを見ていて、輿石さんを幹事長にすれば、輿石さんは今度は野田さんと利害が一致しますから、野田さんの政権運営に協力的になることは間違いない。同時に、小沢グループが党内で奪権闘争を起こしたときは輿石さんが防波堤になるというところまで読んでいた。これはなかなかしたたかだなと思います。その後の政権運営を見ても、朝霞の公務員住宅にしても鉢呂発言にしてもそうですが、これはまずいと思うとさっと引いて、変に踏ん張らないところが何とも攻めにくい要素になっているような気がします。私は個人的にも野田さんを評価しているものですから、攻めづらくて戸惑っているところもありますが、野田さんは従来の自分のカラーをそのまま出しているだけであって、逆に言うとその辺が野田さんの強みかもしれない。そんな感じで見ております。
さて、船出をしたのはいいけれども、野田政権には課題が山積しております。第1課題は、言うまでもなく「復興」ですが、これはとにかく1分、1秒でもスピーディーに処理していくことを求める以外にありません。野田さんのやり方はまどろっこしい感じもしますけれども、結果的には何とか当初目指した方向に今進んできている。3次補正も財源問題もだんだんその方向に行っていますから、ちょっとスピード感には欠けますが、着実に進んできていると思います。
内政、外交にはいろいろな課題があります。内政面では、やはり財政再建ですが、これは時間がどのぐらいかかるも含めていろいろなことを考えていると思います。よく「財務省の操り人形だ」と言われていますが、私は野田さんが財務省に全面的に取り込まれているとは思いません。もともと財政再建は彼の持論でしたから、その実現が当面の最終到達地点という位置付けをしていると思います。ただし、消費税の増税については、今言われているような来年の通常国会で目鼻をつけるという短兵急な考え方はしていないような気がします。
外交面で言いますと、鳩山政権と菅政権が日本外交をまさに完膚なきまでにたたきのめしてくれたものですから、野田さんの外交はマイナスからのスタートです。これからゼロに持っていかなきゃいけないという非常に辛い立場ですが、野田さんの外交面における最大の課題は、日米関係の修復以外にないだろうと思います。日韓、日中、日露関係のすべての前提になるのが日米関係の修復で、沖縄の米軍基地、TPP、牛肉と問題は山積していますが、両者の信頼関係を取り戻すところに集中しているような気がします。
沖縄の問題は、1~2年の間に決着が着く話ではないと思います。環境アセスメントをやるとかやらないとか言っていますけれども、これはポーズにすぎません。鳩山さんのおかげで期待感を一度持ったのにちゃぶ台返しをやられて、今さら「やっぱり辺野古でいいや」とは口が避けても言えないというのが、沖縄の皆さんの共通した心情だろうと思います。最大の問題は、普天間という世界で一番危険な空港の危険をどうやって除去するかということですから、普天間からどこかへ動かすというのがまず最初の目標で、それが辺野古なのか嘉手納の統合案なのか、県外なのか国外なのかは次の話です。現実問題として、仲井真知事が辺野古沖の埋め立ての許可を出すとは思えませんから、当分前に進まないでしょう。これはずるずる引っ張るしかないと思います。
しかし、野田さんは、それ以外の今アメリカから突きつけられているある種の宿題は処理していくつもりだと思います。TPP、牛肉の輸入問題、武器三原則の緩和については進めていく意思がかなり固いような気がしますが、これらの課題は一つの内閣がとても手に負えるような話ではありませんので、どちらかでも処理できれば御の字だろうと思います。
それから、現実的な話では対野党という課題もありますが、政権運営面で言うと、安定的に政権を運営していくために参議院のねじれにどう対応していくかということ、この1点に集中します。野田さんは保守政治家ということをはっきり自認されている方ですから、自民党も公明党も野田政権が誕生したことによって戸惑っているところがありまして、今、距離感を測っているところだと思います。しかし、野田さんは、ねじれの部分についてもどこを攻めていくのかという戦略をはっきりと確立しています。これははっきり言うと、「ねらうは公明党」です。野田さんの周辺では、政権発足前からそういう話が出ていましたが、徐々にそのとおりに動いているような気がします。
皆さん関心があるのは、やはり小沢一郎さんのことじゃないかと思います。確かに小沢さんは異能の政治家です。ここ20年間の政局の動きの中で常にその中心部分に位置していたという意味では、大変な存在感のあるすごい政治家です。ただ、小沢さんという方は非常につかみづらい、複雑な方です。首から上は改革者で首から下は派閥政治家という感じで、一人の政治家の中に新と旧が同居しているタイプだと思います。そして、小沢さんの体の中には今も田中政治というものが非常に強く流れているような気がします。選挙戦術にしても、この間の参議院選挙、その前の総選挙で「小沢流選挙」というのが非常に話題になりましたが、あれは田中角栄さんの教えを忠実になぞって、現代風にアレンジしてやっているだけです。ですから、小沢さんには、かつての自民党の田中流政治の唯一生き残りの伝統技能士みたいなところがあるんです。その一方で、大変な改革者で、既成の秩序や権力をぶち壊すことに何の躊躇もない。この両方の面を持っている方だと思います。
小沢さんがここまで力を持ち続けた大きな要因の一つは、「小沢神話」ができ上がったことです。政治の世界には時々、神話上の人物が登場します。最初は「田中角栄神話」というのがありました。それから「金丸神話」というのもありました。割と最近では「野中神話」というのもありました。政治の世界で表から見て理解不能な事態が起きたときに、裏でこの人が操っているに違いないというその存在が、まさに神話上の人物です。
小沢さんにはほかの神話上の人物との大きな違いが一つあります。それは、ほかの神話上の人物は、せいぜい長くて3~4年で神話が崩壊してしまいましたが、小沢さんだけは20年間神話上の存在でい続けたということで、これはすごいと思います。神話上の人物というのは実像の2~3倍にみんなが見てしまいますから、小沢さんはそういう存在であり続ける能力が非常に高い方だったような気がします。
ただ、さっきも言ったように、その「小沢神話」が徐々に崩れ始めています。目立たない形で小沢グループからの離脱者も出始めています。この最大の要因は、今回の一連の裁判です。ついこの間まで小沢さんが求心力を保っていたのは、小沢さんの周辺が「小沢は来年の4月に無罪をかち取って9月の代表選挙で代表になる」というアナウンスを続けていたからです。そのことによって、党内でも「小沢さんはいずれ復権するからここで盾突いてはまずい」というムードができていたんですが、秘書3人の有罪判決の後、ご本人の裁判が始まって、マスコミの「小沢一郎被告」という一斉報道によって改めて被告人というレッテルを貼られました。たとえ無罪になったとしても、恐らく検察官役の弁護士は控訴するでしょうから、裁判はまだ続きます。その間に小沢さんが総理大臣の座に着くことはまず不可能ですから、党内でもその認識が広まって、小沢さんの求心力がかなり低下をしてきました。
しかし、小沢さんはこれまでも「もう小沢は死んだ」と何度も言われながら、フェニックスのように甦えってきた人ですから、来年で70歳という年齢的なことや自分の立場を考えて最後の勝負に出てくる可能性があります。ですから、それが成功するかしないかも含めて、小沢さんからはまだしばらくは目が離せないと思っております。
さて、この2年間なぜ民主党政権が迷走し続けてきたのかということを考えると、そもそも民主党という政党が抱えている根源的な問題があるのではないかという結論にたどり着きます。それは何かというと、民主党に所属している議員が目標を共有していないことです。1996年に旧民主党が立ち上がったときは全部で50数人いて、社会党系が半分強、残りの半分弱が日本新党や新党さきがけから来た人たちでした。そして1998年4月に新民主党になりました。これが今の民主党のベースになって、そこに後から小沢さんたちの自由党が乗り込んできたという形です。
しかし、問題は1998年4月の新民主党結党にあります。新民主党ができたのは参議院選挙対策のためでした。その前の1997年12月27日、小沢さんが突然新進党を解党して、慌てて仲間が集まって6つの新党を立ち上げました。それ以外にも以前から野党が3つか4つありましたから、1998年夏の参議院選挙という段になって、自民党という巨大な与党にそれぞれが個別に立ち向かっても勝てっこないので、数を集めることを優先してスタートしました。
本来、政党というのは、一定の国家目標なり共通のビジョンなりを持った人たちが集まって一つの動きになります。そして政治、国政に影響力を与えるために政党化し、実際に国政を動かすために与党になるために育っていくのが理想型です。ところが、新民主党は考え方や理念や政策目標がばらばらでしたから、政策一致させましょうといってもまとまるはずがない。特に国家の基本政策である外交安全保障とか、エネルギーとか、経済とか、こういうものはいくら議論をしても全くまとまりませんでした。それで、参議院選挙に間に合わないから意見が一致しない基本政策は先送りしようということになりました。それから11年たっても、基本政策はいまだに棚上げ状態のままです。民主党の政策インデックスを見ても、民主党の外交安全保障政策の機軸はどこにあるのかということが全然書いてありません。認識の共有がないから、例えば沖縄の米軍基地の問題みたいなものが出てくると、それぞれが勝手なことを言い出して収拾がつかなくなる。今後もそういう問題にぶち当たる可能性があります。
民主党には綱領がありません。基本政策がないから綱領をつくれない。党としてこういう国づくりをしますという目標設定ができないんです。民主党の中でも心ある人たちは、以前からこれはまずいということを言っていました。私自身も事務局長時代には、とにかく基本政策をガチンコで議論して、きっちりまとめ上げましょう。それがないまま政権の座に着くのはおかしいということをいつも言っていたんですが、結果的には今も同じ状態です。政権をとった。しかし、基本政策が確立していない。ビジョンも共有していないから迷走してしまう。民主党の最大の問題はこの部分だと思います。
さて、箸休めの意味で思考を変えてクイズをやってみたいと思います。これから漢字を一文字ずつ書きますから、それが今の民主党の主要幹部のだれをイメージしているかを推理してみてください。
一番左端は「鉈(なた)」という字ですが、私は野田さんをイメージしています。野田さんは、カミソリのような切れ味とか日本刀のような切れ味はありません。斧のような力強さもまだ見えません。しかし、鉈というのは時間をかければ大木でも切れる。そういう意味で、野田さんは鉈みたいなタイプだなという感じがします。
次に「理」という字、理屈の「理」とか理論の「理」という意味ですが、これは前原、枝野の二人です。非常に優秀で政策立案能力もある。弁も立つ。何事も理屈、理論が正しければそれでいいと押し通すタイプです。政治家というのは言葉がすべてで、言葉で国民を引っ張り説得していく仕事ですから、言葉を大事にしなければいけない。同時に、政治家が言葉を発信するときは、理屈が正しい正しくないを超えて、その発した言葉を受け手側がどういう感情で受けとめるかという想像力を持たなきゃいけないんですが、二人ともそれができていません。後藤田正晴さんは「政治家、特にトップリーダーにとって必要不可欠な資質は情と理のバランスだ」と常々おっしゃっていましたが、その意味で言うと、前原さんと枝野さんは、「理」はもう十分ありますから、「情」のほうをこれからどう充実させていくかというあたりにかかっているのかなという気がします。
最後に一番右端の「狸」は、輿石さんです。輿石さんは「日教組出身のガリガリ」と言われていますけれども、そんなことはありません。昔の社会党には人騙しの天才みたいなのがいっぱいいましたけれども、彼はその最後の生き残りだと思います。
最後に、今後の政局のことを少しお話ししておきます。
さっきも言いましたけれども、野田政権が安定的に推移できるかどうかのポイントは、「ねじれの解消」です。そうなると、自民党は、ねじれの永続的の解消の相手にはなり得ません。3次補正まではもちろん協力するでしょうけれども、自民党は政権交代を目指しているわけですから、そこから先はガチンコでぶつかっていくしかない。そこで考える永続的なパートナーは「与党側に引き込めば、ねじれが解消できる数」を持った政党になりますが、これはみんなの党と公明党の二つしかありません。しかし、みんなの党は、次の総選挙までは独自路線を間違いなく歩みます。彼らの戦略は、30~40議席を衆議院選挙で取って、自民党も民主党も過半数に達しないという状況をつくり出して、そこでキャスティングボードを握るというものですから、与党にも野党にも与(くみ)しない独自の立場を貫いていくことは間違いありません。したがって、ねじれ解消のパートナーにはなり得ない。そうなると、公明党しかないんです。
流れを見ていると、公明党側も色気満々です。多分、次の総選挙のときには人物本意という言い方をして、選別推薦に入ると思います。自公の選挙協力が10数年間続いたからもう崩れようがないと民党の皆さんが考えていたら大きな間違いで、これは簡単に崩れます。野田政権の支持率がそこそこであれば、徐々にそっちのほうに向いていくと思います。
では、解散総選挙の時期はいつごろになるのかというと、私は来年の秋ごろだと思っています。野田さんは間違いなく来年9月の代表選挙での再選を目指しています。ある程度の支持を保っていれば野田さんを引きずり下ろすことはできませんから、再選します。もしその手前で野田政権がこの1年以内に倒れるようなことがあれば、そのときは民主党政権そのものの終わり、崩壊だと思います。
こうして、野田さんは来年9月の代表選で再選をされる。その後に大幅な内閣改造をやって、時間を空けずに解散をする。これが選挙のできる唯一のタイミングだと思います。報道では2年後の衆参ダブル選挙だろうと言われていますが、公明党はダブル選挙に絶対反対ですからそれはないと思います。ねじれ解消のために公明党を引っ張り込もうとするなら、ダブルはあり得ない。同時に、ダブルをやると、民主党はダブルで負けるリスクのほうが大きいですから、そうしたら政権はもう終わりです。
今のような状況がこのまま続けば、次の選挙で自民党が民主党を超えるのは厳しいと思います。野田さんとしては、今300議席持っているんですから50ぐらい減っても何ということはありませんので、そこで政権維持できれば、その後かなり安定的な政権が続くことになる。各種の世論調査では、選挙を早くやれという声は急速に低下して、当分いいよという声が非常に高い。ということは、しばらくは安定的な政権運営をやってくれというのが世論の声だと思うんです。ですから、ハプニングがあれば別ですけれども、野田政権の支持率がこれからそんなに大幅にガタガタに下がることはあり得ない。したがって、来年再選、その後総選挙という流れになると私は見ています。
私の話はこれぐらいにさせていただきます。どうも長時間ご清聴いただきまして、ありがとうございました。(拍手)
(了)