2012年4月講座
「がんと共に生きて」
ジャーナリスト
鳥越 俊太郎 氏
皆さんご存じのように、「がん」は国民病と言われています。戦後、アメリカからストレプトマイシンという抗生物質が入ってからは、かつての国民病だった「結核」で死ぬことはなくなりましたが、それにかわって「がん」が増えてきました。がん患者は、おおよそ300万人ぐらいいらっしゃいますが、2015年には540万人ぐらいに増えるだろうと言われています。団塊の世代が年をとっていくことと関係があると思いますが、今は健康な人も、いずれ「がん」になるだろうという意味で言うと、2人に1人は「がん」になり、3人に1人は「がん」で亡くなるという時代に、今私たちはいると言われています。
実際に年間で亡くなる人の数は102万~103万人程度ですが、そのうち32万~33万人が「がん」で亡くなっています。次の死亡原因は「心臓疾患」で、17万人ぐらいです。そして次が、脳卒中、脳血栓、脳梗塞、脳出血などの脳の「血管障害」で、13万人ぐらいです。次いで10万人弱が「肺炎」ですが、「肺炎」で亡くなっている方はほとんどが高齢者です。
私が今、新聞を読むときに真っ先に見るのは死亡欄です。昔は社会面や一面のトップの一番大きい記事を読んでいましたけれども、最近は死亡欄に目が行きます。そのとき見るのはだれが亡くなったか、何歳で亡くなったか、原因は何か、この3つです。そうすると、私と同じぐらいの年齢の人が結構「がん」で亡くなっていることが多いのです。それから、80~90何歳で亡くなっている人は「肺炎」が多いのですが、これはある意味では老衰かもしれません。「肺炎」というのは、菌が入ってきて肺で炎症を起こして、それを免疫力で抑えることができなくて炎症に負けてしまって命を奪われるという、ある意味高齢の方に起きる現象ですが、死亡原因の欄には「老衰」とは書かれなくて、「肺炎」もしくは「心不全」が多いです。
でも、よく考えてみたら、人間が亡くなるときはみんな「心不全」なんです。心臓が止まったとき初めて「亡くなった」と言うわけですから、全員が「心不全」です。だから、「心不全」を起こす原因は何かということなんです。「がん」なのか「肺炎」なのか知らないけれども、何か引き金になって最終的に心臓が止まるわけです。どれが原因かわからないけれども、老衰で心臓が止まった場合は、「心不全」と言います。医者は「心不全」という診断者を書いて、新聞にも「心不全」と書かれます。でも、「心不全」と新聞に書かれて亡くなった人は、そこまで生きたということですから、はっきり言っておめでたいのです。
30~40代の若いときに心筋梗塞や心臓麻痺などの「心不全」で亡くなることも、まれにあります。これは非常にまれで不幸な例ですけれども、80~90代の高齢者になって「心不全」や「肺炎」で亡くなるのは大往生に近い。したがって、死に方としては悪くないと思います。よくPPK(ピンピンコロリ)と言いますけれども、これはピンピンしていたのに突然コロッと死んじゃうことで、一番理想的な死に方だと言われています。長患いでベッドの中で苦しみながら、息も絶え絶えになりながら、呼吸が苦しくてはぁはぁ言いながら、点滴を打たれ、人口呼吸器をつけられて、もう死なせてくれというのに無理やり生かされているケースもある。そうやって亡くなるよりは、ある日突然、知らないうちに死んでしまったほうが幸せかもしれません。しかし、遺されたほうは、どこに何があるか何もわからないまま死なれてしまうわけだから、つらくて大変です。
今日は、皆さんとともに「人間の亡くなり方」ということを考えてみたいのですけれども、私は、「がん」というのはまんざら不本意な死に方ではないだろうと思っているのです。もちろん小児がんや20~30代の若年性の「がん」は、きついと思います。これから十分人生を楽しもうと思っているところで、突然「がん」と言われて、「余命1年」とか「1年半」とか言われて命を取られてしまう。白血病もそうです。歌手の本田美奈子さんが白血病で亡くなりましたが、彼女もまだ30代と若かっただけに、ああいうケースは家族も本人も非常につらいと思います。
私は、65歳のときに「がん」になりました。「ああ、がんなのか」という気持ちはありましたけれども、その反面、65歳まで生きてある程度やることもやったから、「まあ、いいかな」という気持ちもどこかであったんです。私は今年で72歳ですけれども、もう70歳を超えたらいつ死んでもいいと思っています。もちろん後始末はちゃんとしないといけないし、家族のこともちゃんと考えなきゃいけないんですけれども、そういう自分の亡くなった後のことを考える死に方という点で言うと、「がん」は「余命何年」という猶予を与えられますから、「心不全」よりは「がん」のほうがいいなと思うのです。
筑紫哲也さんは、73歳で肺がんでお亡くなりになりましたけれども、「肺がん」と言われて1年半ぐらいでしたから、余命1年半ぐらいということになります。奥さんはそれを聞いていたそうですけれども、筑紫さんは頑張って治すつもりだったので、本人には言わなかったとおっしゃっていました。そういうケースもありますけれども、私は、自分が「がん」の告知をされて、余命がもし限られているのであれば、それをちゃんと告げてほしい。そうすると、その間にいろいろと始末をつけなきゃいけないもの、そんなに難しいものはありませんけれども、女房や2人の娘への相続の問題も含めてある程度整理しておく必要があるものを片づけることができます。ですから、「がん」になったということは、そう悲観することもないというのが私の思いです。
しかし、私の場合はまだ「余命の告知」までいっていません。大腸がんの手術をして、左の肺に転移して手術をして、そして右の肺も手術をして──これは良性でしたけれども、そして、2009年2月に肝臓に転移して手術をしました。最終的には4回手術をしたのですけれども、手術前と後を比べると、明らかに手術後のほうが健康で、今のほうが元気なんです。70歳の古希の年からジムに通って筋肉トレーニングをやっていますから、こうやって立って講演をしても、1時間半でも2時間でも腰は痛くならない。でも、がんになる前は、1時間半講演をやると腰が痛くなって、残りの30分は椅子に座っていましたから、そのときに比べたら、はるかに今のほうが体は丈夫になっています。これは自分でも不思議なんですけれども、恐らく「がん」になるまでは生活自体がかなり不規則で、乱れた食生活とか睡眠で、運動という点でも、かなりいいかげんな生活をしていたと思うのです。
「がん」になったことによって、私は自分の生活のスタイルを変えました。基本的に言うと、「食事」「睡眠」「運動」の3つをうまくバランスよくちゃんとやっていれば、人間の「免疫力」はそんなに落ちない。人間が生きていく上で一番大事なのは「免疫力」です。「免疫力」が高い人は、外敵からの侵入にも、「がん」に対しても闘う力を持っています。「免疫力」というのは、皆さんが持っている、いわば自衛のための武器です。外敵が入ってきたら、免疫細胞が出動してやっつける。傷をつくったり、けがをしたりすると、そこにばい菌が入って化膿して膿が出る。膿が出終わったらよくなって痛みも減りますが、膿というのは、実は免疫細胞と外敵のばい菌とが闘った後の戦場の死骸なんです。だから、膿を全部取り去ったら、もとのとおりによくなる。あれは「免疫力」が働いているという証拠なんです。
そして、その「免疫力」を高く保っているのが「食事」です。これはいろいろな見方があるので一概には言えませんが、私は、肉はたくさん食べないようにしています。基本的にはたんぱく質は魚です。サバ、アジ、サンマ、イワシといった背の青い魚を中心として、あとは野菜を摂っています。
この間、「NHKスペシャル」という番組を見ていたら、2匹のサルで実験を行った映像に出ていました。1匹のサルには非常に高いカロリーの餌を与え、もう1匹のサルには高カロリーの餌を食べているサルの4割ぐらいのカロリーしか餌を与えない。毎日同じように餌を与えたところ24年後にどうなったかというと、高カロリーの餌を食べ続けたサルは見るも無惨で、毛は抜け、しわだらけ、よぼよぼのサルになっていました。そして、一方の低カロリー、つまり4割ぐらいのカロリーを摂っていたサルは、毛並みツヤツヤ、しわがない、若いという結果でした。
そのときに説明されていましたけれども、人間は「サーチュイン遺伝子」というのを持っていて、これは人類が何千年もの間生き残ってきたプロセスでかち取った「飢餓遺伝子」なんだそうです。要するに、飢餓状態になったときにその遺伝子が活性化して生き延びていくというシステムをもともと持っている。そして、その遺伝子が働くのは飢餓状態になったときですから、高カロリーなものばかり食べていると働かない。したがって、高カロリーの食物を摂取している人間も含めた動物は短命である。つまり長寿ではない、早く老いる、老化が早く進む。カロリーを控え目に摂っていったほうが、寿命が長くてアンチエイジングで若さが保てるというわけです。
そう考えてみると、お坊さんは長寿が多い。お坊さんは、修行を積む中で粗食で暮らしています。お坊さんが摂っている精進料理の中には何の動物性たんぱくも入っていません。全部植物性のたんぱく、もしくは植物性の繊維、炭水化物です。高僧と言われる非常に位の高いお坊さんが長寿なのは、サーチュイン遺伝子の話と通じるものがあると思います。
浄土宗開祖の法然上人は、平安時代に80歳まで生きました。織田信長の時代は人生50年で、人間は50年生きればよかった。明治時代までは、日本の平均寿命は50何歳でした。今、男は78歳、女性は86歳ぐらいまで延びましたけれども、これはここ20~30年ぐらいの間に急激に延びたのです。医学の進歩や食糧事情がよくなったこと、いろんなことがあって日本は世界一の長寿国になったわけですけれども、普通の人が40~50歳ぐらいで亡くなっていた平安時代に80歳まで生きた法然上人は、恐らく粗食をしていて、あまり高カロリーのものは食べていなかったということが言えると思います。
法然上人の弟子で浄土真宗の開祖の親鸞上人は、法然上人よりさらに長寿で90歳まで生きました。そして、親鸞上人に次ぐ現代の上人と言われる日野原重明先生は今100歳で、エスカレーターに乗らずに平気で階段を上っています。原稿も飛行機の中や車の中で書いています。聞いてみると、低カロリーのものしか食べていなくて、朝は紅茶とクッキー、昼もほとんど何も食べていないそうです。夜はちょっとしたものを食べられるようですけれども、非常に低カロリーの食事をされているのです。日野原先生は戦前生まれですから、日本が貧しい時代に育っていて、さらには結核で長い間療養されています。その人が100歳まで生きているわけです。私はこれは恐らく食生活に関係があると思います。そうだと決めつける気はありませんが、何かのヒントにはなると思って、私も朝ご飯はヨーグルトにバナナをスライスして入れて、蜂蜜もちょっと入れて、あとはメロンパンのこのぐらいと紅茶だけです。昼は食べません。夜は、鳥のささ身とキャベツとブロッコリーとトマトとキュウリにノンオイルのドレッシングをかけたものがメインで、あとは白身の魚の刺身とアボガド程度にしています。
「免疫力」を保っていくためには、食生活と食の中身、量と質を考えて食事をちゃんとコントロールしていくことが大切だと思います。それから、たばことかアルコールはできるだけ避けたほうがいいです。たばこは肺がんの原因になると言われていますが、なぜか皆さんたばこをお吸いになっている。これはぜひ考えていただきたいと思います。
それから、「睡眠」も大切です。私も若いときはそうでしたけれども、仕事上、仕方がなく2日や3日ぐらい徹夜をやったり、徹夜で酒を飲んだり、マージャンで徹夜することもしょっちゅうありました。しかし、これは明らかに「免疫力」を下げる原因になっています。私は今、睡眠時間を最低6時間はとるようにしています。もう72歳ですから、8時間、9時間寝る必要はない。6時間寝れば十分です。だけど、寝るのにもエネルギーが要るので、年をとるとこの6時間がなかなか寝られません。
睡眠の専門の先生に「眠れないときはどうすればいいですか」と聞いたところ、躊躇なく「医者に処方してもらって睡眠導入剤を使ってください。そして、質のいい睡眠をとってください」と言われました。皆さんは、意外にそういうふうにはお思いになっていないと思います。睡眠薬というのは何となく怖い存在である。睡眠薬というのは副作用があったり死亡の原因になったりするという、何かそういうぼんやりとした印象が残っていると思いますけれども、今の睡眠導入剤というのは、昔のブロバリンなんかがあったころの睡眠薬とは、機序といいまして薬の効き方が全く違ので、死ぬことはありません。人を殺すこともできませんし、副作用も依存性もほとんどありません。
今、日本人に使われている睡眠導入剤は、レンドルミン、マイスリー、ハルシオン、この3つが代表的です。効き方の長さが違ったり、入眠が早かったり、効きが早かったり、切れ方が早かったり、といったように多少違いますが、眠れないようだったら、どれか自分に合ったものを見つけて医者に処方してもらって、睡眠導入剤を使ってでも寝て、健康を確保していただきたいと思います。これはつまり、「免疫力」を確保するということです。
ちなみに、私はハルシオンとデパスを使っております。デパスというのは精神安定剤で、これを飲むとちょっと眠たくなります。うちの女房はデパスで眠れるそうですが、私はデパスだけでは眠れないので、ハルシオンも使っています。ハルシオンは、アルコールと一緒に飲むと眠っている間の記憶が飛ぶことがあるので、一時非常に騒がれました。説明書にもアルコールと一緒に飲んではだめですと書いてありますように、アルコールと睡眠導入剤を一緒に飲むのは危ないので、やめたほうがいいです。
それから、3つ目の問題は「運動」です。江戸、明治、大正、昭和と来まして、平成の時代は本当に便利になりましたので、日本人が歴史上最も歩かなくなっているのではないでしょうか。サラリーマンの方であれば、駅までの行き帰りとか、駅の中をちょっと歩く程度はされるでしょうけれども、この中で役職についておられる方は、ひょっとしたら送り迎えのハイヤーがついているかもしれません。しかし、ハイヤーは「早死にせい」と言っているようなものです。ハイヤーを使うのは役人が多いのですが、役人のために便宜を図っているように見えて、実は役人を早く殺すための装置だと思ったほうがいいです。今の日本人はほとんど足を使って歩くことをしなくなっています。使わない器官はどんどん退化していくのが生物の原理です。手も足も全部動かして運動していないと退化していきますし、「免疫力」も下がっていきます。つまり、健康にも障害が出てくるわけです。
今、最も日本人に求められているのは、「食事」「睡眠」でもなくて、実は「運動」なんです。たまにゴルフに行かれるのも運動ですから、しないよりはしたほうがいい。しかし、1カ月に一遍とか2週間に一遍程度のゴルフでは、せいぜい5~6キロぐらいしか歩かないわけです。歩かないよりはましですけれども、それよりも日常的に何か運動をしたほうがいいと思います。私は、ケビン山崎さんが始めた「トータル・ワークアウト」というジムに週3回通っています。今日も朝10時から2時間ぐらいジムで走ったりいろいろやってきました。週に3回ジムに行って体を動かしていますから、筋肉が増えています。そして、脂肪は大分取れていますし、下半身も筋肉がついていますので、かなり丈夫になっています。やはり「食事」「睡眠」「運動」をバランスよく摂って「免疫力」を確保するというか、「免疫力」をいつも高い位置に保っておくことが非常に大事だと思っています。
「免疫力」を測る方法はありません。私の主治医の東洋医学の先生は、脈診で私の免疫力を数値化してくれているのですが、普通の西洋医学では「免疫力」の数値化はできていません。だから、この人は免疫力が高いとか低いとか言っても、しょせん西洋医学ではどれだけ高いか低いかはわかりません。しかし、すぐ病気になる人は「免疫力」が低いことは確かです。皆さんは大体、毎年1回や2回は風邪をひくと思いますが、私は毎日新聞をやめてからテレビに出て23年ぐらいたちますけれども、この間一度も風邪をひいたことがないし、風邪で仕事を休んだことは一度もありません。喉が痛いなというときは、すぐうがい薬でうがいをしてちゃんと寝るし、食事もしっかり摂るというように手を打つので、風邪をひきかけてもすぐに引っ込みます。これは私の「免疫力」がある程度高いからだと思います。
例えばヘルペスが唇にできるのは「免疫力」が下がっているときです。ヘルペスというのは非常に弱い菌ですけれども、「免疫力」が下がってくると菌の力に抵抗することができないので、表に出てくるわけです。また、エイズは後天性免疫不全症候群といって、エイズウイルスが体内に侵入して、人間の持っている免疫力のシステムを壊すので「免疫力」が働かなくなる病気です。つまり、エイズというウイルスで死ぬのではなくて、エイズウイルスが「免疫力」というシステムを壊すために、ほんのちょっとした菌に侵されて死んでしまうというのがエイズの実態で、だから「死に至る病」と言われているわけです。
私はインフルエンザのワクチンを一度も打ったことがないけれども、インフルエンザにかかったことはないし、普通の風邪にもかかったことはありません。それは、私が東洋医学の先生から「免疫力」についての講義を聞いていて、どうやったら「免疫力」を高く維持することができるかということを私なりに実践してきた結果だと思っています。でも、「がん」にはやられました。「がん」は、さすがに私の免疫力も抵抗することはできなかったらしくて、がん細胞はできてしまいましたけれども、そのほかの細菌類とか、ばい菌類には一応今のところはうち勝っているというのが私の「免疫力」です。「免疫力」については、皆さんもぜひお考えいただきたいと思います。
これは医者が言うので本当だろうと信じていますけれども、実証的な統計の数字があるわけではないので参考程度にしか申し上げられませんが、前向きに、明るく元気に生きているほうが「免疫力」は下がらない。そうしているほうが「免疫力」が上がるそうです。実際に、がん患者の方で「富士山に上る会」とか「マッターホルンに登る会」といった会をつくって、目標を決めて元気に過ごしておられる例がありますが、目標を設定することによって、そこへ向かって「生きるぞ」という気持ちが出てくるので、「免疫力」が上がると言われています。だから、皆さんも何かしっかりした目標を持って、それに向かって日々生活をされると、当然「免疫力」は上がると言えるだろうと思います。
それから、明るい、つまり「笑う」ことは非常にいいということも言われています。笑って生活をすると「免疫力」は上がる。そうはいっても、無理して笑えない。おかしいことがないと笑えないでしょう。でも、笑ったほうがいいそうです。だから、今日は皆さんも自由に笑ってください。企業関係の男の人ばかりの講演に行くと、私が笑ってほしいなと思うことを言っても笑わない人が多いのでものすごくつらいのですが、女の人はちょっと何か言ってもすぐ笑ってくれるので、女の人ばかりの講演会はとてもやりやすい。ですから、「ああ、今日は男ばっかりか」と思ったときは非常につらいですけれども、そういうときはあえて「男の人は昔から家を一歩出たら七人の敵がいると言われて構えているので、人の前で白い歯を見せて笑うことは、人に足をすくわれたり隙をつくると思っているので笑わない。そうでしょう、皆さん。でも、だから今日は笑っていいんですよ」と言って誘導してあげるようにしています。そうすると、皆さんは肩の力が抜けて笑って、「ああ、今日は笑っていいんだ」みたいな感じになります。男の人は女の人に比べるとつらい人生を送っていますから、どうしても人の前で頑張る。だから人前で笑わない。だけど、笑ったほうが「免疫力」は上がるそうです。
では、どうやって笑えばいいのか。おかしくもないのにそんなに笑えない。でも、そういうときは、おかしくなくても「あっはっはっ」と言って笑えばいいんだそうです。そこで私もやってみました。家族の前でやると気が狂ったと思われるといけないので、トイレの中でやりました。おかしくないのにとりあえず「あっはっはっ」と笑ってみたら、そのうち本当におかしくなってきたんです。そういうふうにやっている自分におかしいと思って、笑いが本当に出てきたんです。こういう方法もあるんだなと思いました。「あっはっはっはっは~」と言って笑っていると、そのうち本当の笑いが出てくるんです。これも自分で「免疫力」を高めるための一つの手段だということを今日は覚えて帰って、一回トイレの中で実験をやってみてください。
私は、そういうことで一応「免疫力」を保っているので、何とか「がん」とも闘ってきましたが、「免疫力」があってもなぜ「がん」は出てくるかというと、実は、人間の体は毎日数千個のがん細胞が発生しているのです。しかし、「免疫力」が抑えているので「がん」が表に出てこない。ところが、60代、70代、80代と年をとって高齢になると「免疫力」が下がってくるので、がん細胞ができたときに撃ち漏らすようになる。今までは2,000のがん細胞ができたのを全部撃ち落としていたのに、それを一発撃ち落としてしまうことがあると、それが何年か経つうちに目に見えるような形になって、がん細胞になって現れてくると言われています。
「がん」とは一体何かということを皆さんと考えてみたいのですけれども、基本的には細菌類とかいろいろな外敵の侵入によって人間の体が侵され、その結果、病気になるわけです。ところが、「がん」は、がんそのものの細胞が分裂をする。細胞分裂は毎日皆さんの体の中でやっているわけですけれども、細胞が分裂していく過程で、遺伝子レベルである異常が起きます。そのきっかけは何かわかっていないのですが、子宮頸がんはウイルスが、肺がんはたばこが原因で起きると言われていて、「がん」の原因が特定されているものはこの2つしかありません。あとはストレスか何かわからないけれど、何かが働いて遺伝子レベル、DNAレベルで異常が起きる。つまり、人間の体というのは、ある遺伝子が同じ形で細胞分裂していくのが普通なんですが、細胞に異変が起きて異常な細胞ができることがある。これが「がん」で、悪性腫瘍というわけです。一回細胞分裂の途中で異常なものができると、もちろん細胞レベルですから最初は目に見えないほど小さい。でも、それが5年、10年たつとだんだん目に見える5㎜とか7㎜とか10㎜程度のがん細胞になってくる。そのミリ単位のうちに見つけて処置すれば、「がん」になっても生きている確率は高いのです。私の場合、大腸がんは3.3㎝ぐらいでした。かなり大きかったので、大腸がん2期と言われました。転位した肺は7㎜、肝臓は1.5㎜でして、それなりに大きかったので、何年かたっていたわけです。
「免疫力」というのは非常におもしろい性格を持っていて、自己と非自己を見分ける力を持っています。自分の体と、それから自分の体以外のもの、ばい菌だとか細菌ウイルスだとかそういうものが入ってきたら、すぐに非自己、つまり自分でないものが入ってきたぞということで出動して食い止めるのが、「免疫力」の持っている力です。
免疫細胞は骨髄でつくられて、胸腺で自己と非自己を見きわめる訓練を受けます。自己と非自己を見きわめる力を持った免疫細胞だけが残って、そして「免疫力」として力を発揮していきますが、骨髄でできた免疫細胞のうち、95%はその訓練で結果を出せずに使いものにならず、残りの5%が「免疫力」として働くのだそうです。これが免疫システムで、「免疫力」というのは非常に奥が深いものです。そして、その「免疫力」は「がん」については、いくら異常なものができたとしてもそもそも自分の細胞分裂で、外側から入ってきたものではなく自分の中でできるものですから、「免疫力」も力を発揮するのがなかなか難しい。したがって、撃ち漏らしが出て「がん」になっていくわけです。本当に外敵だったら「免疫力」が高ければ全部撃つところですが、自己と非自己の狭間にできたようなものが悪性腫瘍ですので、さすがの「免疫力」も100%全部がん細胞をやっつけることはできない。だから、これだけのがん患者の方が毎日生まれているわけです。
「がん」を考える上で一番大事なこととして、皆さんに今後の参考にしていただきたいことを話します。ほとんどの病気には必ず自覚症状がありまして、それは、痛いとか熱が出るとか、かゆいというのも入ると思いますが、特に一番大きいのは「痛み」という信号です。「痛み」という信号を脳に出すことによって、ああ、どこかが悪いなということを知らせてくれる。胃が痛いとか、足が痛いとか、痛いという痛みを覚えて初めて病院に行って治療を受けるわけです。痛みが出てこなかったら行かないでしょう。ところが、病気の中で唯一とは言いませんが、一番多い死亡原因である「がん」は、「痛み」を発しない。ここが意外に盲点なんです。
「がん」になったら痛みが出ると思っている人が多いと思いますが、そんなことはありません。がん細胞ができても何の痛みもかゆみもない。だから手遅れになるのです。例えば筑紫さんの場合は、肺がんでした。咳が止まらなくておかしいなと思って病院に行ったら、肺にがんがいっぱいできていて、もう手術もできない。抗がん剤治療しかできないと言われた。しかし、抗がん剤で肺がんを治すことはできません。がん細胞を小さくすることはできるけれども、すぐまた大きくなってきます。そして、それまで使っていた抗がん剤は効かなくなります。抗がん剤を変えなきゃいけないということで、手遅れになった肺がんの人は、だんだん追い込まれていきます。そして「余命」を言われるようになるのです。
細胞分裂の過程で、目に見えないぐらいの小さながん細胞がぽつんとできるわけですが、その時点で「がん」ができましたという「痛み」の信号が出れば、すぐ病院に行って手術で全部取ってしまえば、ほかの臓器に転移することもなく、小さい芽のうちに摘むことができます。しかし、現実にはそういうことができていない。なぜかというと、「がん」ができても「痛み」という自覚症状がないために、がん細胞が増えていくにもかかわらず、本人はのんきに暮らしている。それで、あるところまでいって、咳が止まらないとか、食道のところに何か飲み込んだものがひっかかるという機能障害が起きる。大腸がんの場合だったら、出血をして便の中に便鮮血反応というのが出てくる。そういう機能障害が起きて初めて、「あ、何かおかしいな」ということになる。もっとがんが大きくなってきて神経にさわったりすれば、当然痛みが出てきますが、本当に小さい段階ではまだ神経にさわりませんので、「痛み」は一切発しません。これが「がん」の一番の特徴です。ところが、このことを医者は言わないし、だれも言わない。だから、「がん」の初期には痛みがないということをだれも知らない。それで、放っておくのです。機能障害が出てきて初めて病院に行ったときは既に臓器の中にがんがいっぱい広まっていて、「もう手遅れです、余命は1年です」とか「1年半です」と言われるようになる。これが「がん」です。
では、どうすればいいのか。向こうから「がん」のお知らせがないということを大前提で考えれば、自分で探すしかない。40代まではいいでしょう。それを過ぎたら自分で「がん年齢」を決めるのです。「がん」は、高齢化に伴う加齢現象の一つです。つまり、人間が年齢を経るに従って「免疫力」が下がってきて、がん細胞が出てくるということを考えれば、ある一定の年齢を自分で「がん年齢」と考えて、60歳を過ぎたら年に一遍は検診に行って、自分できっちり捜索をする、探す。そして、なければとりあえず今年はクリアできた。そして来年また、自分の誕生日に必ずがん検診をやると決める。
がん検診は、普通の人間ドックの検診とはちょっと違います。大腸は内視鏡をやります。肛門からカメラを入れます。胃の内視鏡は、胃カメラを飲みます。それから、肺はCTスキャンという1回の被曝量が6,900マイクロシーベルトという非常に高い被曝量を浴びるのですが、私はこれを年に4回ぐらいやっています。
あと、全身を診るPET-CTというのがあります。このように、胃の内視鏡、大腸の内視鏡、CTスキャン、エコー、PET-CT、5つぐらい検査の方法があります。60歳過ぎたからこれを全部やれとは言いませんけれども、自分は腸が心配だなと思う人は、年に1回ぐらい大腸の内視鏡をやったほうがいいです。肛門からカメラを入れて腸の中を全部見るわけですから、腫瘍があればすぐわかります。一目瞭然です。私も3.3㎝でこうやって助かっているわけですから、1㎝とか2㎝ぐらいのもっと小さい段階で見つければ、5年生存率ということがよく言われますけれども、ほとんどの人は5年生きることができます。私は2005年に大腸がんになりましたら、もう7年近く生きています。
「がん」は「痛み」という信号を出しません。今日はこれだけは覚えて帰ってください。したがって、「がん年齢」になったら「がん」があるかないかを自分で調べるしかありません。何か自覚症状が出てからでは手遅れです。「余命何カ月」とか「1年」とか言われます。それでよかったらそれまで待っていなさい。それがいやなら自分から探しに行って、「がん」を早目に見つけて、手術をするなり抗がん剤なり放射線なりと、3つぐらい方法がありますので、その治療を行ってください。そうすれば、「がん」はそんなに恐れるものではありません。
人間は死を避けられませんが、どういう死に方をすればいいのかというのは、もう皆さんぐらいの年齢になったらお考えになっていると思います。あまり考えたくないことではあるけれども、自分はできるだけこういう亡くなり方をしたいなと思うのであれば、元気なうちからそういうことを考えておくのも、自分の人生の締めくくり方として大変重要なことであろうと思います。
とりあえず話はこれで終わります。どうもありがとうございました。(拍手)
(了)