2013年5月講座

「『犯罪報道の犯罪』から30年 メディアは変わったか」

同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻教授 
浅野 健一 氏

 

 今日は、私たちとマスメディアとの関係を皆さんと一緒に考えてみたいと思います。私の経歴ですが、慶応大学の経済学部を出てすぐ共同通信に入りまして、22年間働きました。最初は社会部で警視庁の上野方面担当を2年間やりました。そのときにパンダのランラン、カンカンが来まして、警察担当だったのですけれども、パンダ番記者をやれということになりました。パンダは日中国交正常化記念ということで1972年の10月頃来日しまして、それ以来、ランラン、カンカンの排泄物の量とか、牛乳を何本飲んだとか、どこの笹は食べるけれどもどこの笹は食べないとか、初めてブランコに乗ったとか、そんなことをやっていたのですが、それは本当に楽しい日々でした。社内では目がちょっと似ているというので、「パンダちゃん」と言われていました。そして、1974年に千葉支局に転勤しました。

 私の人生を変えたのは、首都圏連続殺人事件です。若い方はわからないと思いますが、松戸市で中学校の先生とか信用組合の職員の方とか11人が相次いで強姦され、殺されて埋められたり、アパートを焼かれたりした事件がありました。この東京の東と千葉県の西のほうで起きた一連の事件について、警察は小野悦男さんという人を逮捕しました。10件11人、同一犯行説でした。実はこれは誤っていたのですね。ほかの犯人を逮捕することなく、起訴できないまま、ずっと警察の留置場に閉じ込めておいて、自白をもぎ取って起訴しました。しかし、10何年後に東京高裁で無罪が確定しました。検察が最高裁に上告しなかったのです。私はその事件を最初から取材していて、彼が犯人であるかのような記事をいっぱい書いたのですが、あるとき、彼はやっていないということが伝わってきました。県警の中でも意見が分かれていたのです。冤罪というのは必ず警察の中で意見が分かれていて、あいつが犯人だという声の大きいほうが通るのです。ちょっと無理をしても早く被疑者を逮捕しろという雰囲気になり、慎重にすべきだという声はかき消されてしまうのです。

 小野悦男さんのことがあってから、千葉の大塚喜一弁護士という千葉大チフス菌事件の弁護をやった大変立派な弁護士や、今も千葉で活躍されている渡辺眞次先生などと、日本のマスコミの犯罪報道はおかしいと考えて勉強会を開いたりしました。

 マスコミというのはあったことをなかったようにすることができるのです。逆に、なかったことをあったようにすることもできます。本当に怖いと思います。東京電力の原発事故のときもそうでした。既に1号機、3号機が爆発していて、日本テレビで流れているのですが、NHKは「何か事象が起きています」と言っているのです。きのこ雲が出ているのに、「事故」ではなくて「事象」と言っているのです。東大教授が出てきて、「大丈夫です。健康被害はありません」と言いました。枝野官房長官は「直ちに健康への影響はない」と言ったのです。全部うそでした。本来だったら「私たちはわからない。何が起きているのかつかめていない」と言わなければならないのです。事実は、いまだにわからないのです。4号機には入れなくて、1,500何万トンの使用済み核燃料があっても、誰も見ることができないので何が起きているかわからないのです。国会議員が見たいと言っても、「暗いからだめです」と言って断りました。3・11から1カ月ぐらいは何もわからなかったのです。ところが、アメリカにはいろいろな情報があって、2日後には80km圏内から出ろと言っています。大使館員も全員、東京から大阪へ逃げて、家族は全部アメリカに帰しました。

 知っていることを隠したり、わかっていることを伝えなかったり、わからないことをわからないと言わなかったりするのは罪です。しかし実際は、危険なことが起きているかもしれないのに「安全だ」と言った。スリーマイルやチェルノブイリにはならないというのは、私は絶対デマだと思います。テレビや新聞でそのように言えば、一般の人は、ああ、そうか、大丈夫なんだと思ってしまいます。ところが、皆さんもご存じのように、東電の吉田所長は、「地獄を見た。完全に終わったと思った」と言っています。菅首相も「4号機がもし爆発したら、東日本はだめになる。日本はだめになると思った」と言っているように、4号機が爆発するかどうか心配だったのです。ところが、4号機には水が3分の1ぐらい入っていたのです。その水がなぜ入ったかいまだにわからないのです。そのとき日本政府の首脳は「神風が吹いた」と言ったのですが、このことはいまだに日本政府は発表していません。これは橋下さんの発言と同じくらいまずいことです。

 犯罪報道も原発の初期報道と同じパターンで、警察的な真実しか伝わらないのです。日本は警察がこう言っているという以外に、新聞記者は情報を取れない構造になっているのです。アメリカの場合は警察に捕まっても電話ができます。もし私がニューヨークで捕まったら、電話して、俺は何もやっていないのに捕まっているのだということを訴えることができます。傍受はされるけれども、ニューヨークタイムスや友達に電話できるのです。また、アメリカでは弁護士が横についていないと取り調べができません。沖縄で米兵が強姦事件を起こしても、日本の警察になかなか身柄を渡さないのは、日本は野蛮な国なので刑事手続が守られないというのが理由になっているのです。私はアメリカの言い分は正しいと思います。国際的に見て、警察に捕まった人に対する人権、接見交通権と言いますけれども、外の人と会ったり、手紙を出したり電話をしたりする自由があるのですが、日本は捕まえたらずっと出しません。それも、「やっていない」と言ったら出さないのです。痴漢で捕まって、「やりました」と言って罰金を払えばすぐ出してくれますけれども、「やっていない」と言うと出してくれないのです。これを「人質司法」と言います。日本の司法制度では、警察に捕まった人が外に発信することはできません。

 PCの遠隔操作の問題で、猫を抱いている人が捕まりました。今は全然ニュースになっていませんが、4回目の逮捕で、そろそろ終わりです。日本では1回逮捕されると22日間入ることになります。最初、警察に48時間留置され、その後、10日、10日といきます。昔、学生運動で捕まると2泊3日で出てきておしまいだったのですが、今は大体拘留が認められるので、10日、10日で、22日間になります。彼の場合は4×23ですから92日間です。昔、塩見孝也さんという日本赤軍の人が8回から10回ぐらい逮捕されて、半年捕まっていましたが、これも国際的には認められていません。窃盗とか強姦とか、違う事件で次々逮捕するのはしようがないのですけれども、似たようなことで次々捕まえるというのは認められていません。一事不再理というルールがあるわけです。

 日本で警察に捕まると、今は大分よくなりまして、殺人などの凶悪事件では国の費用で弁護士がつくようになりましたが、昔はつきませんでした。捕まって、起訴されて、裁判が始まって初めて国選弁護人がついたのです。しかし、根本的にはあまり変わっていません。オイコラ警察と言いますか、捕まえてきて、「おまえがやったんだろう」と言って自白を取って、その自白に基づいて証拠を集めて、起訴して、裁判で大体有罪になる。そういう構造は変わっていません。

 先進国では有罪率が大体60~70%、日本は99.5%です。1,000件のうち5件ぐらいが無罪になります。日本人は、日本の警察は優秀だと思うかもしれませんが、外国から見るとよほど冤罪が多いのではないかというふうに考えるわけです。有罪と証明できなかったらノット・ギルティです。無罪ではないのです。「無罪」という言葉はないのです。本当はその人がやったのじゃないかというのがノット・ギルティなんです。日本では「真っ白な無罪」と「怪しい無罪」があるなんていう言い方をします。小沢一郎さんは無罪になったけれども、いろいろ問題があるんじゃないかとずっと言われています。日本では一旦警察に逮捕されると、何もないのに逮捕するはずがないから、何かあったのだろうというわけです。

 あるいは、免田事件で免田さんは無罪が確定しましたけれども、真犯人は捕まっていません。なぜかというと、今は時効はありませんけれども、当時は15年で時効だったから、新たな被疑者を見つけるわけにはいかないんです。そういう意味では、彼は今でも地元の熊本に帰れないのです。今でも地元の人は免田がやったんだろうと思っているからです。どこか日本人の意識の中に、無罪になったけれども本当はやっているんじゃないかという、そういう文化がまだ残っているわけです。

 私は人権と報道について、どうして警察に捕まった人の名前や写真を出すのか、すごく悩んでいました。私は香川県の出身ですけれども、例えば高松出身の人が東京で事件を起こすと、香川県の高松高校を出て、慶応の経済学部を出た会社員が人を殺したという記事になります。そのとき共同通信の記事の最初に「高松注意」と書きます。それは高松の四国新聞や西日本放送はこの記事を使いなさいという意味です。「注意」というから使わないように注意するのかなと思ったら違うのです。私は30年前に東京に出てきていて、もう関係ないと思っていますけれども、両親とか親戚が地元に住んでいて名前が出るとすると、すごく珍しい名前だったら一族郎党がすぐわかってしまいます。

 足利事件の菅家さんは、菅家を「すがや」と読むのは足利市に2軒しかないんです。だから彼の親戚は名前を変えています。そういう意味で逮捕時に名前を出すというのは、私はすごく嫌だったのです。私の友達にも学生時代に人違いで警察に捕まったり、警官に殴られた人もいます。だから警察というのは100%信用できないなという気持ちが強かったのです。私の祖父も警察官だったので、警察官にうらみがあるわけではないのですけれども、正義感から思い込んだり、無理な捜査をしたりします。そのために検察官や弁護士がいて、司法試験があると思うのです。司法試験に受かった人たちが、誰が犯人であるとか、どういう刑罰がいいかということを、証拠と法に基づいて公開の裁判で決めるわけです。ところが、逮捕された入り口で、名前や写真、出身地、経歴を全部書かされるわけで、私はそれですごく悩んでいました。

 そういう時に日弁連の本を読みました。日弁連は1976年に、無罪の推定があるのだから、原則として被疑者、被告人の氏名を書かないようにしたらどうかということを提案しました。私はこれを記者4年目に読んで、こういうふうにすれば私の矛盾は解決されると思いました。まだ共同通信の記者のときに、日本の通信社の記者、放送記者は「ペンを持ったお巡りさん」「カメラを持ったお巡りさん」ではないかと言われていました。お巡りさんの仕事とジャーナリストの仕事は違います。お巡りさんは疑わしい目で人間を見ると思うのです。警察官の仕事はそういう仕事で、ある種しようがないけれども、新聞記者の仕事はそうではありません。警察に捕まった人はきちんと法律にのっとって取り調べを受け、きちんとした裁判を受け、証拠と法に基づいて適正な手続で判決が言い渡され、そして刑務所に入ったら、刑務所でちゃんと更生するような教育が行われる。死刑囚以外は更生して社会に戻ってきて、再出発する。そういう社会の中でジャーナリストがやるべき仕事は別にあるのではないかというように思いました。

 それで悩んでいる時に、スウェーデンでは捕っても名前が出ない、人を100人殺しても名前が出ないということがわかりました。日本でも20歳未満だったら、19歳364日までは人を殺しても名前は出ません。光市事件で名前が出たのは死刑が確定してからです。しかし、日本の大きなマスコミで言えば、毎日新聞、中日新聞、東京新聞はまだ匿名を守っています。毎日新聞は、犯人の少年は死刑判決が出たから今後社会に出ることはないけれども、少年法は今も適用されるというふうにうたっています。スウェーデンでは1920年代からそうなっていて、最近は判決が確定しても名前を書きません。

 スウェーデンだけかなと思ったらドイツやスイスもそうで、アメリカ、イギリス以外の国はほとんどが名前を書きません。お隣の韓国も書かないです。韓国の犯罪報道では名前を全部、李さん、朴さん、金さんにしています。人口の7割ぐらいはそういう名前なんです。日本だと、例えば私がつかまっても、伊藤さん、鈴木さん、高橋さんの3つにまとめるようなものです。今度、韓国に行かれたら聞いてみてください。前に10人殺した人がいましたけれども、名前は出ていません。日本のように、警察に捕まったら名前が出るというのは非常に珍しいということを知ってもらいたいと思います。これを私は「実名報道の弊害」と言っています。

 日本の実名報道主義というのは、警察に捕まった人は、20歳を過ぎている場合、名前を書くということです。それから、殺された場合も名前を出します。女子大生が殺されると、必ず写真も出します。ルーマニアで日本人の女子大生が殺されましたけれども、彼女がどんな服装をしていたか、どんなストッキングをはいていたかということまで書かれてましす。大学名ももちろん出ています。殺された彼女のご両親には一言も相談されていません。ここが大事なところです。被疑者の場合、例えば秋葉原事件みたいに現場で捕まって、そのときに名前を出すか出さないかというのは非常に悩ましいところです。大概の人は、そこで捕まっているわけですから、出していいのではないかと思っています。ところが、スウェーデンでは、もう捕まったのだから名前を出す必要はないというのです。もし彼がまだ銃を持って逃げていて、既に10人死んでいるとすると、その場合は名前を出して、どこにいるか探しているので協力してくださいということになります。それに協力する新聞やテレビも一部ありますが、これは無罪推定に反するから出さないとか、ビラを配ったりするのは警察のやることだと拒否するメディアも半分ぐらいあります。要するに、捕まったら全部匿名報道です。もう必要ないという考え方です。

 オウム真理教の麻原彰晃さんを死刑にしろという人が多いけれども、死刑にしないで、どうして彼はあんな事件を起こしたのかということを明らかにする。。。悪いやつは死んでしまえ、殺してしまえということでは、本当の意味での真相究明はできないのではないか。。。今言ったようなことは、松本サリン事件で奥様を亡くした河野義行さんもそう言っています。「麻原彰晃さん」と「さん」をつけるのは河野さんと私だけです。私が言うと違和感があると思うのですが、河野さんは奥さんを殺された被害者で、そういう人が言っているのです。私は河野さんに倣って「麻原彰晃さん」と言っています。

 実名報道ということでは、昔は新聞に大学の合格者名が出ていましたけれども、現在は本人の了解もなしに勝手に名前を書いてはいけないということで出ていません。日本の社会は進歩しました。

 今、カードの申請をするときに、そのとき浅野健一という同じ名前の殺人犯がいたら、審査はなかなか通りません。そういうのを調べる商売があります。犯罪報道で出た名前を全部調べているのです。怖いのは、その人が裁判で無罪になったかどうかがわからないことです。皆さんもスピード違反で捕まったとして、そんなに速度を出していなかったと思ったときは、機械が間違えていることが結構あります。例えば飲酒運転で捕まって、後で機械が間違っていたということがわかっても、新聞に名前が出たらもうおしまいです。痴漢の場合もそうです。

 私の妻が鎌ケ谷高校に勤めていたとき、いわゆる育児ノイローゼで、子どもを2人抱いて新京成電鉄に飛び込んだお母さんがいて、その夫が妻の同僚でした。新聞に名前が出たわけですから、お父さんはつらかったですね。新聞は何ということをするんだと。わあっと取材に来て、かわいそうだ、かわいそうだと書くけれども、お母さんは精神的に不安定で飛び込んだわけで、名前は要らないと思うのです。それなのに、名前を書くということが今行われているのです。

 私は基本的に名前は書きませんけれども、今日はわかりやすくするために言いますと、畠山鈴香さんのすさまじい報道がありました。最初に自分の娘が亡くなって、その後で娘の友達が殺された。誰がやったのかわからなかったのですが、秋田の彼女の家の近くに中継車がやって来ました。お寺の駐車場を借り切って、教育委員会にも駆け付ました。これが今の日本のマスコミの姿を表しています。

 いろいろな冤罪事件があります。甲山事件は、保母さんが2人の子どもを殺したというので捕まって、25年後に無罪になりました。園長さんも無罪になりましたけれども、犯行が起きた時間に彼女と一緒にいたと言ったために、偽証罪で逮捕されたのです。警察が怖いのは、私を犯人と決めたら、私のアリバイを証明した人まで偽証罪で逮捕します。そういうことまでやるのです。あるいは、「おまえは前にこんな事件を起こしていて、証拠は全部あがっている。しかし、浅野がやったと言えばおまえは許してやる」と言って、浅野を見たという目撃証人にでっち上げます。冤罪事件で怖いのは、本人がやったと言われるだけではなくて、追い込まれると、浅野があそこに入るのを見たと、うその証言をする人が結構いることです。そういうことをしないのは本当に信頼できる親子ぐらいです。妻もちょっと怪しいです。しょせんはもともと他人ですからね(笑)。本当に困ったときに助けてくれる親友は2~3人しかいないんです。だから、友達をあまりたくさん持つ必要はないと私は思っています。

 甲山事件はそもそも事件ではなかったのです。子どもたちは浄化槽で遊んでいたのです。ふたは閉まっていて、重いので子どもには開けられないと思ったのですけれども、知的障害者施設ですから14歳とか15歳の大きい子もいて、子どもたちがそれを開けて、いろいろな物を投げ込んだりして遊んでいたのです。そして誰かが突き落としました。そういう証言もあるのです。私が何々ちゃんを後ろから押したら、落ちてブクブクブクブクとなって、髪の毛が上がってきてどうしたこうしたと自白をしている園児がいたのですが、警察はその証拠をずっと隠していました。

 警察は不都合な真実は隠すのです。先ほど言った足利事件もそうです。菅家さんの自白では、女の子を自転車に乗せて、土手のほうから野球場の横を通って行ったというのですが、野球場には200人ぐらいいて、菅家さんも女の子もみんな地元の人は知っているのに、二人を見た人が一人もいなかったのです。それなのに女の子にいたずらをして殺したということになっている。足利事件もDNA鑑定で救われたとよく言われますけれども、そうじゃないのです。DNA鑑定以外に、彼はやっていないという証拠がいっぱいあったのです。それが裁判所に出されなかったために、裁判官は出された証拠だけで判断するのことになり、自白調書もあったので、おまえがやったんだろうということになってしまったのです。

 深谷事件は、桜井さんという人が杉山さんと一緒にやったと自白しました。杉山さんは、あいつが俺を売ったと恨みましたが、裁判でちゃんと言えばわかると思って自らも自白したのですが、裁判で言ってもだめでした。結果的には2人とも無罪になりましたけれども、杉山さんはあいつが自白したから俺が捕まったというので、いまだに桜井さんを恨んでいます。

 それから、大分みどり荘事件では、7年後に無罪が確定しました。女子大生が殺されて、隣の人が捕まったのです。このとき、彼女の「神様、許して」という声が聞こえて、バタバタッと音がして、男の声が聞こえたというのです。彼女はクリスチャンで、友達の1人が自殺し、1人はいまだに行方不明です。その2人のうちの1人が犯人だろうと私は思っています。無罪になった輿掛さんは、公衆電話からお母さんに大きな声で電話をしているんです。後ろに朝日新聞の記者が待っていて、アパートに警察の人が来てえらいことになっている。隣の女子大生が殺されたと話していたのを聞いていた。真犯人だったら恐らくそんな余裕はないですね。そのことを朝日新聞の記者が証言し、あと、警察が彼の体毛を彼女の部屋に置いたということがわかって無罪になりました。

 松本サリン事件は、私が大学に移ってから起きた事件です。河野さんの家の裏庭の先にサリンがまかれて、妻の澄子さんが病院に搬送されました。最初、マスコミは河野さんを被害者と見ていたのですが、かなり家宅捜索されて、日本中が彼を犯人だと思うようになりました。「松本市 河野義行様」で届く手紙もたくさん届きました。しかもわざわざ信濃毎日新聞のメモ用紙を使っていたものもありました。河野さんは奥さんが痙攣しているので救急車を呼んだのですが、それが怪しいというわけです。致命的だったのは、妻と除草剤を調合中に煙が出てきたというのですが、これは全くのうそでした。近所の人が、河野さんがそういうことを言ったというのですが、河野さんは近所付き合いが苦手で、愛想がよくないんです。用のない人にはあまり近寄らないし、スナックにも行かない。だけど新聞ではスナックで「俺はでかいことをやるんだ」と言ったことになっているのです。警察官や新聞記者は自分のやっていることから想像しているのです。自分自身がやっていることは河野さんもやっているだろうと決めつけたのではないでしょうか。そういう情報が流れたらもうアウトです。信州大学工学部の教授は「バケツでもサリンはつくれる」と言いました。つくれるけれども、ちょっと考えたら、つくった人は死にます。

 いまだに私はオウム事件の実行犯がどうして誰も死ななかったのかと思っています。あんなに簡単に人を殺せるのだったら、アルカイダは絶対やると思います。オウム事件は謎が多い事件です。小伝馬町で1人だけ捕まっていますけれども、その人がどうなったかわからないのです。読売新聞が書いていますが、誤報になっているようです。私は捕まっていると思うのですけれども、捕まえてはいけない人だったのではないか……。当時、日本でサリンを持つことができたのは自衛隊と米軍だけです。その辺にヒントがないかと思っていまして、本当に上九一色村でサリンができたのかという謎もあります。

 警察庁長官が撃たれたときに、そこに北朝鮮の労働党のバッジと労働新聞が置いてあったとされています。しかし、そんなものは日本にないのです。労働新聞を探すのは大変です。キヨスクでは売っていません。それを生け垣のところに置いてあったというのです。それは一体、何のサインだったのでしょうか。

 ナンバー2の村井さんが殺されたのも、実行犯はわかっているけれども、誰が命令したのかはわかっていません。村井さんが生きていたら困る人だったのでしょう。彼は全部知っていたのではないでしょうか。さっき言った除草剤をつくるのに失敗したという報道はNHKもしていて、その後、謝りました。河野さんは今でもアレフの人たちと付き合っています。

 和歌山カレー事件も、私が林真須美さんは冤罪だと言うと、皆さんはびっくりされると思いますけれども、冤罪の可能性が強いです。ノット・ギルティです。彼女には動機がないのです。動機がないのに人を殺すほど悪いやつだという判決なんです。殺人には動機が絶対必要です。交通事故で人を殺しても絶対殺人にならないのは、動機がないからです。人を殺そうと思って車を運転している人はいないから、どんなに悪いやつでも、どんなに酔っぱらっていても、殺人罪は適用されないわけです。殺人罪が適用されるためには、誰かを殺そうと思って包丁を買ったりする手続が必要なんです。もめているうちに頭を打って死んだ場合は、殺人ではなくて傷害致死です。傷害致死か殺人かでは、ものすごく大きな差があります。

 そもそも林真須美さんには理由がないのです。彼女は保険の詐欺師なんです。保険金をいっぱいだまし取って立派な家を建てた。子どもは4人いて、家を建てて2年目で幸せいっぱい。そんな人が近所のおばちゃんとちょっともめたからといって、お祭りでカレーの中にヒ素を入れますか。しかも2人の子どもがそこに残っていて、カレーを食べるかもしれない。それだけでもおかしい。ヒ素が見つかったのは林さんが逮捕されてから4日目です。台所の下から出てきたというけれども、犯人がヒ素がついたカップをそんなところに置いておくでしょうか。

 今、マスコミの現場というのは、新聞記者になるとすぐ警察担当にさせられます。読売新聞が新人記者に渡しているパンフレットには、おまえたちに人権はないと書いてあります。タコ部屋の記者だから24時間やれみたいなことが書いてあって、夜回りは刑事のところにウイスキーを持っていけとあります。共同通信の千葉支局でも、オールド・パー、サントリーローヤル、角瓶と位があって、刑事部長にはオールド・パー、末端の刑事のときは何とかと分けているのです。私は支局長に「これは犯罪じゃないですか。公務員に1万円以上の物を渡したら、いわゆる賄賂じゃないですか」と言ったのですけれども、「堅いことを言うな」と言われました。ひどいのは、警官は学歴にコンプレックスがあって、新聞記者は東大、早稲田、慶応が多いけれども、警察官は専修とかが多いので学歴の話はするなと書いてあるんです。今はそんなことはないですけれども、本当にふざけています。こういうことを活字にするということに私は驚きます。

 では、日本のマスコミはどうしたらいいのかと考えたときに、外国でやっている制度を取り入れたらどうかと思うわけです。新聞をどうつくるとか、テレビのニュースをどう報道するかというのは、法律で規制してはいけないのです。思想・信条の自由、学問の自由、そういうものに絶対に権力が関与してはいけないのです。だけど今みたいにほったらかしでいいのかというとここにも問題はあります。しかし、公務員が万引きをした、高校の先生が飲酒運転で捕まったというのは、公人ではあるけれども、別に権力行使とは関係ないことです。女子大生が友達に殺されたというケースでも、殺したほうも殺されたほうもミス・ユニバースとかに選ばれていない限り、全部私人です。スウェーデンでは公人が公的なことで捕まったときは名前を出して報道します。しかし、私人が私的なことで飛び降り自殺をして、下を歩いている人が死んでしまったというときにどうするか。もちろん、だれの名前も出しません。お父さんやお母さんが子どもを殺したという場合も名前は絶対要りません。今、子どもを殺すお母さんが多いとか、過労死が多いとかいった現象はなぜ起きるのかという記事を、当事者の名前を書かないで報道したらいいと思います。スウェーデンでは、名前を出された人が、人権を侵害された、不当な記事を書かれて報道されたということで訴える仕組みもあります。

 それから、外国では新聞記者は株を買ってはいけないのです。NHKの人はよく買って問題になっていますが、報道にたずさわる人はだれよりも先に情報を得るわけですから、誘惑にかられますけれども、買ってはいけないんです。日本は買ってもいいけれども、ちゃんと倫理を守れということなのですね。ところが、それが守れないから買うなと決めているのです。

 スウェーデンでマスコミに名前や写真が出るのは、市民の期待を裏切った悪い弁護士たち、あるいは脱税した医者たちです。一番出るのは政治家です。私はこんなにすばらしい、妻しか愛したことがありません、愛人なんて絶対いません――。潔癖な政治家だと言って大統領選挙に出るから、ウソがばれて名前が出るのです。アメリカでも愛人がいたとわかったら失脚します。言っていることとやっていることが違ってはいけないというわけです。

 強い者ほどプライバシーが制限されます。政治家がどこの大学を出ているとか、一緒に並んで「ありがとうございました」と頭を下げたりしている以上妻や娘もはプライバシーは何もないのです。そういう意味ではある程度制限されます。

 スウェーデンではどういう場合に名前が出るかということを調べるために、パルメ首相が1986年に殺されて、そのときに捕まった被疑者をどこで報道するか記者に聞いたところ、1審で有罪の場合が一番多かったです。裁判で決まるまでは、総理大臣を殺したと疑われている人であっても名前は出ません。これはすごいことです。最後まで名前は出さなくてよいという人もいます。ところが、日本では名前も写真も全部出ます。匿名報道にすると警察が名前を発表しなくなると心配するのです。昔は刑事課へ行くと、誰が捕まっているのかすぐわかりました。取り調べの声から聞こえていたからです。今は立派な鉄筋コンクリートの警察署になったので、そういうのは聞こえません。

 新聞を最も読む国民ということで、日本は全世界の5位の中にいつも入っています。今1位はノルウェーで、次いでフィンランド、スウェーデン、日本の順で、その次にドイツが入っています。日本もスウェーデンも新聞が大好きなんです。

 イギリスにも同じような制度があるのですが、毎日新聞が先頭になってやったことで、例えば今、私が逮捕されたら、「千葉県柏市の浅野健一を逮捕した」と書かれたことが、今は「浅野健一容疑者を逮捕した」「○○容疑で同志社大学の浅野健一教授を逮捕した」というように変わりました。一番大きいのは放送界でBPOができたことです。テレビを見ていてひどい報道だなと思ったら、人のことでも内容でも何でも、すぐ抗議することができます。このように、テレビについてはすばらしいものができています。

 裁判員裁判制度ができましたが、裁判員になる人は、さっき出た林真須美さんとか畠山鈴香さんを目の前にしたら絶対犯人だと思ってしまうでしょうね。全部刷り込まれている訳ですから。さっき言い忘れましたけれども、畠山さんの裁判は8年ぐらいかかっていて、結局お父さんの介護で疲れ果てたことによる統合失調症だったと結論づけられました。だから子どもを2人殺しているけれども、たしか懲役12年ぐらいだったと思います。長い裁判で、どうして彼女がそういうことを起こしたのかということはやっとわかったけれども、それはほとんど報道されていません。悪い女というままで終わっています。

 ジャーナリストの任務というのは、権力のチェックだと私は思います。力を持っている人たちをチェックし、声なき声、あるいは弱者を代弁する。匿名原則を導入して、そういう仕組みをつくっていきたいと思っています。

 私も新聞、メディアの現場で働いていたので身をもって感じるのですが、就職試験の仕方に非常に問題があると思っています。さっき言ったように有名大卒がほとんどを占めていて、しかも男が90%を占めています。テレビも新聞も出版も、女性の管理職はほとんどいません。日本の新聞社で女性の編集局長がいたのは沖縄タイムスだけで、それも1回だけです。女性は多分文化部に1人ぐらいいるだけで、政治や経済の部署にはほとんどいません。障害者もいません。皆さんの企業は心身障害者雇用促進法を守っていると思うのですけれども、日本のメディアで守っているのはNHKだけです。朝日新聞や共同通信には障害者は一人も入社していません。会社に入ってから障害を負った人はいますけれども、それがかろうじて10人ぐらいで、パーセントが決まっていますので、足りない分は全部罰金を払っています。マスコミというのは非常に遅れた世界です。なぜかというと、メディアを批判する人がいないからです。

 今日の案内文に「浅野健一を呼ぶのは勇気が要る」と書かれていましたが、メディアを批判する文化人、学者はいないんです。なぜかというと、批判したらメディアに出られなくなるからです。私はここで叫ぶしかないんです。昔は出してくれたんですけれども、朝日新聞を批判したら、浅野健一は反朝日新聞人物だと登録されて、絶対に使われないんです。

 最後にもう1つ、マスコミの給料は高過ぎます。田中角栄政権のときに経団連がベアの基準を設けましたけれども、マスコミだけ除きました。私の給料は2年目に中学校の校長の親父を抜きました。そして、ずっと高校教師の妻の給料の2.5倍ぐらいありました。今、テレビ局の50代の人は2,000万円前後、局長クラスだと2,200万円ぐらい、新聞社も大体2,000万円以上で、毎日新聞、産経新聞、時事通信を除いて、みんな確定申告をしています。そして、菅直人は消費増税のときに軽減税率に新聞を適用するという密約をしています。それを何とか守ってもらいたいと思って自公政権にすり寄っているのが、今の日本の大新聞です。

 だから私たちは腐れきった新聞やテレビを監視しないといけないんです。あんなにもうかって、テレビ朝日や日本テレビの本社とか、共同通信社の本社とか、御殿のようです。もう報道機関の体をなしていないと思います。もうちょっと地味にやれよと思うほどキンキラキンです。本当に民衆のためのメディアを取り戻すために、皆さんにもメディアを監視してもらいたいのです。ひどい放送や記事があったら抗議し、おまえらの給料は高過ぎるんじゃないかと言ってほしいと思います。

 長くなりましたので、これで終わりたいと思います。(拍手)
(了)