2014年4月講座
「2020年東京五輪」
毎日新聞ニューヨーク特派員
小坂 大 氏
「2020年東京五輪」というテーマでお話しさせていただきますが、なぜアメリカから帰ってきた私が東京オリンピックの話をするかというと、まずこれを見ていただければと思います。ソチオリンピックのときの普通のプレスカードですが、これは競技の取材ができるカードです。それとは別に、こういうカードももらったわけです。これは国際オリンピック委員会のホテル、委員の方が泊まっているホテルに自由にアクセスできるパスです。国際オリンピック委員会というのは、開催国にとってはVIP扱いで、素晴らしいホテルに泊まって、周りは全部ブロックされて人々がアクセスできないような状態になります。このパスを持っているとそこにアクセスできて、IOC委員の人から直接話を聞くことができるわけです。多分日本のメディアが一番多くIOCのメディアのパスを持っています。例えば共同通信であったり、読売新聞であったり、朝日新聞であったり、海外で言うとAP通信、ロイター通信、AFPとか、あとはオリンピック専門のメディアがイギリスとアメリカにそれぞれ1個ずつありますが、実際に日本のメディアが世界で一番熱心にIOC、オリンピックをフォローしているというぐらい、きちんと取材していると思います。
そういうわけで、2020年オリンピック招致の決定の経緯をブエノスアイレスで取材しましたので、IOCの方々の考え方を少し解説したいと思います。
IOCは1894年に設立されて、本部はスイスのローザンヌにあります。現在205カ国地域が加盟して、オリンピック・ムーブメントと言ってオリンピックの精神を世界に普及することを目的としてやっています。IOC委員は各国から100人ちょっといます。オリンピックの競技はヨーロッパ発祥が多いものですから、ヨーロッパの出身が多くて、ヨーロッパ44人、アジア23人、北中米18人、アフリカ12人、オセアニア6人という地域バランスでやっています。例えば中東の王子様とか、あとは元オリンピックの選手、法律家、ビジネスマンと、いろんな顔ぶれがいて、基本的には非常にプライドが高いです。公用語は英語とフランス語ですけれども、世界各地から来ているものですから、英語が第二外国語、つまり母国語を持っていて、なおかつ英語を話すという人が多くて、日本語がメインの私たちでも取材しやすいというのがメリットです。お互い第二外国語同士ですとコミュニケーションがうまくいく場合が多いものですから、非常に取材をしやすいと思います。
IOCの運営は、わかりやすく言えば日本の国会のようなイメージだと思います。厳密に言えば選挙で選ばれているわけではありませんが、IOC委員が議員だと考えると、委員の選挙で会長を選ぶ。会長が委員長で、マーケティング、財務、ドーピング対策と、各種専門委員会がいろいろあり、その委員長を指名する。これが大臣みたいなイメージでしょうか。この間、日本オリンピック委員会の竹田恒和会長がマーケティング委員長に指名されましたが、これは言ってみれば入閣したみたいな感じです。その下にIOCという組織のプロパーの職員の部長がいて、これが官僚の方々という感じです。
昨年9月にアルゼンチンのブエノスアイレスであったIOC総会の投票結果は、1回目は東京が42票、イスタンブールとマドリードが26票で並んで、再投票の結果、イスタンブールがマドリードを下して決戦投票となり、東京が60票、イスタンブールが36票で、東京の圧勝で終わりました。
なぜここまで圧勝できたのかという経緯を説明していきたいと思います。まず、2008年が北京五輪。バンクーバー、ロンドン、ソチ、リオデジャネイロ、平昌、そして東京という流れに来ています。バンクーバーとロンドンオリンピックは非常に安定した運営でした。ちょっと注目していただきたいのはソチ、リオ、韓国という流れです。例えばソチで言うと、ロシアで初めての冬季オリンピック、リオは南米で初めて、平昌は韓国で初めての冬季五輪。初めてという大会がここ最近、3大会連続で続いています。あるIOC委員の方に話を聞くと、この3つがうまくいくかどうか心配で眠れなくて、時々夜は目が覚めると。半分ジョークでしょうけれども、IOCにとってオリンピックが成功するかしないかはまさに死活問題で、初めてのところに委ねるのは非常に気が気でないというようです。
つい先日、アジア版のオリンピックと言われるアジア大会が2019年にベトナムのハノイで開催される予定だったのに、お金がかかり過ぎるからと辞退しました。オリンピックはものすごくお金がかかります。セキリュティの問題もありますし、国民世論もいろいろありますから、いつそういうふうに投げ出されるかわからないという状況もあるわけです。例えば心配されたソチオリンピックは、大会期間中は成功だったと言われていますが、閉幕したと同時にロシアとウクライナ情勢が緊迫化しました。もし大会期間中にああいう情勢になっていたら、果たしてこの大会は成功だったと言えるかどうか。IOCにとってもオリンピックのブランドが非常に傷つけられたという印象になって、心配は尽きなかったそうです。それとは別に、グルジアに隣接していたものですから、衝突の懸念が常に拭えず、果たして本当にうまくいくのかというのが心配の種でした。
ソチ五輪の取材が終わってニューヨークに帰る途中で、ロシアのサンクトペテルブルグ経由で一泊したのですが、そのときにホテルに行くシャトルバスでブラジルの選手団と乗り合わせて、選手団のコーチと雑談をしました。ブラジルは今年の6月にサッカーのワールドカップを主催するので、「準備できているの?」と聞いたら、「いや、遅れているね」と。「リオ五輪はどうだよ」と聞くと、「話にならないね」と言いました。主催する国の人たちがそんなことを言っていいのかと思いますが、IOCは非常に懸念しまして、ついこの間、緊急特別チームを編成して、リオの準備状況を監督することになりました。これは極めて異例なことです。
平昌は、我々は隣国の韓国は発展している国だからしっかり運営できるだろう、1988年のソウルオリンピックを開催しているから安心だと思っていますが、ヨーロッパやアメリカの人から言えば、あそこは38度線に近いという意識が拭えない。だから我々の感覚とは違っていて、本当に大丈夫なのかという危機感を持っているようです。そういうふうに3大会続けて懸念を持っている中で迎えたのが昨年のブエノスアイレスでのIOC総会で、これが2020年の東京五輪を決定する大会だったわけです。
では、何でIOCは初の開催地ばかりを選ぶのか。IOCには憲法とも言える五輪憲章があります。わかりやすく言うと、平和や友好の祭典である五輪精神を世界に広げていきたいということです。初の開催地を選んできたのは、ロシアのソチ、あるいは南米のリオデジャネイロにオリンピック精神を広げたい、韓国に冬のオリンピック精神を伝えたい。こういう理想の部分があるからです。
ただ、もう一方で現実の部分があります。それはIOCの財政です。1980年に旧ソ連でモスクワオリンピックをやったときに、旧ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、アメリカ、日本、当時の西ドイツなどがボイコットをして80カ国しか出場してこなかった。この間のソチオリンピックの出場国は83でした。ですから、モスクワの悔いをそこで果たしたというのがロシアの言い方でしたが、当時は、本来平和の祭典であるオリンピックが政治の争いのもとになり、オリンピックの権威は地に堕ちたと言われてIOCも悲観的になり、オリンピックは国連が主催するべきではないかという移管論まで出たそうです。
当時のことを知っているIOC関係者に聞くと、IOCの財政状況は大変悪化して、使える資産が200万ドルしかなかったので、いつ破綻してもおかしくない状況だったそうです。このとき、1980年に会長になったのがスペイン人のサマランチさんで、数年前に亡くなられましたが、財政の安定化をライフワークとして取り組まれました。その危機を救ったのがアメリカのテレビ局でした。モスクワ大会の次の1984年のロサンゼルスオリンピックのときにアメリカのテレビ局のABCがオリンピックの放映権で契約したのが2億2,500万ドルでした。そこでテレビ放映権が自分たちの屋台骨だということ彼らはすごく認識したわけです。
アメリカがオリンピック大国だと言われるのは、IOCのテレビ放映権の85%をアメリカのテレビ局が負担しているからで、実際にアメリカに住んでみると、正直言ってアメリカ人はオリンピックにあんまり関心を持っていません。大好きなのは大リーグ、2番目がNBAで、時間があったら大学スポーツと、ずっと自分たちの国のスポーツばっかり観ていて、オリンピック競技の取材に行くと、普通のプールみたいなところで大会をやっている。日本であれだけ人気のあるフィギアスケートも、浅田選手が来ていようが、鈴木選手が来ていようが、羽生君が来ていようが、がらがらのところでやっていて、アメリカ人は4年に一度しかオリンピックに興味を持たないというのがすごくよくわかりました。とはいえ、IOCにとっては最大のスポンサーはアメリカのテレビ局なわけです。例えば、北京オリンピックのときにアメリカで関心が高い競泳の決勝をアメリカ時間の夜に開催するために、北京時間の午前中に決勝がありました。これはアメリカのテレビ局が自分たちのゴールデンタイムに一番好きな競技をやってくれとIOCにお願いをしたという経緯があるわけです。
さしものアメリカのテレビ放映権はどんどん増えていったわけですが、さすがに若干伸びが下がってきました。それがサマランチさんの任期の最後のほうに差しかかってくるわけですが、そこでIOCが注目したのが新たな市場の開拓です。例えば、サマランチさんが最後に決めたのが北京五輪ですけれども、北京五輪を開催することによって中国から新たな放映権料を手に入れました。リオオリンピックを開催することによって、今度はブラジル、南米からテレビ放映権を得て、オリンピックのスポンサーであるコカ・コーラなども市場を広げるために新しい地域を目指してきました。そこで北京、バンクーバー、ロンドン、そしてソチ、リオ、韓国と、新しいところに行くわけです。
IOCのテレビ放映権の推移を見ると、例えば1993~1996年のアトランタオリンピックの期間は12億5,100万ドルでした。その後どんどん増えて、ロンドンとバンクーバーオリンピックの期間のときは、アトランタオリンピックのときと比較すると3倍以上になり、IOCの拡大路線の成果となりました。こうすることによって、IOCは財政の安定化を図り発展してきた。もちろんただ単にお金を得るだけではなくて、スポーツが発展しない地域に投資もしていますが、1980年のモスクワオリンピックを機に財政破綻寸前だった団体がこういうふうに膨らんできた。基本的にIOCが目指してきた方向だったと思います。
南米初のリオというのがあるならば、彼らがもちろん考えているのはアフリカ初、中東初、そして、東京のライバルだったイスタンブールはイスラム圏で初めてという大義名分がありました。ですから、IOCのこれまでの発展、拡大路線を考えたら、3都市残った段階でイスラム圏初というイスタンブールが一番強いのではないかと言われてきました。ところが、イスタンブールは決定のためのIOC総会が近くになると、反政府デモが広がってきました。また、隣国のシリア情勢が不安定なことが心配されました。一方で、マドリードには欧州経済危機の影響で財政不安がありました。そこでふっと上がってきたのが東京でした。つまり、イスタンブールも初だからいいけど不安、マドリードも財政安定がよくないから不安という中で、安心という意味で東京が俄然クローズアップされて、ほとんど三つ巴の状態でブエノスアイレスに入ってきました。
ところが、ブエノスアイレスの前後になると、東京は福島第一原発からの汚染水問題が浮上しました。ブエノスアイレスに入ってからは、現地の会見では欧米メディアからどうなっているのかと集中砲火を浴びました。そんな劣勢の流れを変えたのが安倍晋三首相で、汚染水は完全にブロックしたというスピーチでした。安全ならばやっぱり東京だよねという流れに確実になったのは、この演説だったと思います。東京に決まった後に、IOC委員の泊まっているホテルに行きまして、IOC委員の方々に「何で東京にしたのですか」と聞きましたら、大多数が「総理の答弁が非常に明快だったので不安は払拭された」と言っていました。
実は、私の予想では東京はだめかな、マドリードが勝つのではないかという印象がありました。というのは、マドリードは3回目、4回目の立候補で、サマランチさんの出身地です。サマランチさんの息子さんが今IOC委員をやっていまして、彼が父の夢をみたいな言い方をして情に訴えるわけですね。「三度目の正直だ、経済不安は大丈夫だ」と言っていました。IOC委員の泊まっているホテルでは完全に周りが疑心暗鬼になっていまして、イスタンブールがIOC委員を部屋に呼び込んで何かを渡していたぞとか、東京はそういうことをやっていないのかとか、マドリードは何々をしていたぞみたいな話が出ていたというのが決戦前夜でした。
確かに安倍総理の発言がIOC委員の不安を払拭したのは間違いないですが、我々日本に住んでいる人間からすれば、原発の処理とか被災地復興というのがまだまだ先が険しくて十分でないことはわかっています。総理の発言が現実的ではないという批判も、当時の日本の新聞にはありました。しかし、そうはいっても、一国の総理大臣が地球の裏側のブエノスアイレスまでやってきて「大丈夫です」と言ったら、IOCの委員の皆さんは原子力の専門家ではないので、それを信じるほかないと。逆に言えば、日本が国際的に、東京オリンピックのときには原発の処理は大丈夫だと言った。これはオリンピックに向けた日本の国際公約になったのではないか。つまり、日本のPRの主な材料は「安心・安全」でしたが、総理が来て「大丈夫だ」と言ったことによって、日本は本当にそこまでやらなければいけないということを宣言したのではないかと思います。
ソチオリンピックのときは、主催者が毎日記者会見をしましたが、オリンピックをきちんとフォローしているメディアというのはごくごく限られていて、あとは大半がアメリカの放送局とかイギリスの放送局とか、オリンピックのときに投入された人たちなので、今までの流れをわかっていません。ですから、その時その時のものすごくタイムリーな話題を記者会見で聞いて、それを世界に発信していきます。そうすると、それがその国の問題として世界に広がっていってしまうという傾向がありました。
そこで最初にやり玉に上がったのが、ホテルができていないということでした。各国の記者がツイッターで壁にこんな穴があいているみたいな写真を出すと、ばあっと広がっていってしまいました。次にやり玉に上がったのは、ソチ市内に野良犬が多過ぎるということでした。確かに10~20頭ぐらいが群れをなして空港やオリンピック会場の周りをうろうろしていましたが、現地の人はそれを別に何とも思わないんです。でも、海外から来た人は非常に目くじらを立てまして、一斉駆除に走ったわけです。ある日「キャイーン」という絶叫する声が聞こえまして、翌日になったら野良犬がいなくなっていたという非常に恐ろしいこともありました。その次に矢面に立ったのが、ロシアが同性愛者を規制する法律を成立させたことです。あなたたちの国は人権条項を守っていないということでした。そしてその次に攻撃を受けたのは、こんな暖かいところでオリンピックをやるのはおかしいということでした。
多分、開催国というのはいろんなところで批判のターゲットになると思います。したがいまして、東京オリンピックのときに、首相が宣言したように汚染水を完全にブロックしなかったり、被災地の復興が思ったように進んでいなかったら、東京オリンピックの期間中を通じて全世界に日本はあのとき言ったけどちゃんとやらなかったというふうに話が伝わっていってしまう恐れがあります。
ブエノスアイレスでは汚染水の話を攻撃された日本でしたが、ソチオリンピックのときに、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会が立ち上がりまして、IOC委員の方々に「投票していただきましてありがとうございました」とお礼参りをしたわけです。ブエノスアイレス以来、初めてのシチュエーションだったけれども、「汚染水はどうなった?」ということは誰も聞いてこなかったそうです。実際に現地の組織委員会が海外向けに行った記者会見でも、汚染水に対する質問は皆無でした。つまり、裏を返して言えば、日本の総理があそこまで言ったのだからということで、日本はとても信頼されているのではないかと。今の段階では東京が言ったということを信頼する。もしそれが大会期間中に出てきたら、やはり歴史的な位置付けとしての東京オリンピックというのは、負の歴史として語り継がれていってしまうという懸念があります。
話は戻りまして、開催地に対する不安と、一方で新しいところの目指したいというものの天秤にかけた状況において、最終的にやっぱり東京が一番安心だよねというのが、60対36の圧倒的な勝利につながったのだと思います。とにかく東京の選択というのは「安心・安全」ということだったと思います。終わった後でIOC委員の方々にお話を聞いたときに、1998年の長野オリンピックのときもIOC委員として日本に来られたという方が言っていました。長野オリンピックのジャンプの団体決勝のときは大吹雪だったけれども、日本のボランティアの方々が懸命に雪かきをして人々の足場を確保してくれて、もてなしに非常に感銘を受けたと。IOC総会で宮城県の気仙沼出身パラリンピックの佐藤真海さんが熱く語ったスポーツの力というのはすごく印象がよかったようですが、そのスピーチに説得力を持たせたのは、長野オリンピックのときにボランティアの方々が、おもてなしという意味で世界を迎え入れたという印象があって、日本なら大丈夫だろう、任せられるだろうとIOCの方々が思ったのだと私は感じました。実はブエノスアイレスの招致活動だけで5億円使っていますが、それで東京が勝ったというよりも、日本が長野オリンピックを含めて世界に積み上げてきた信頼というのが生きたのではないかと思います。
先日も、早速スウェーデンのオリンピック委員会が福岡市にやってきまして、東京オリンピックの合宿地として交渉に入りましたが、やはり日本への安心感というものは大きいというふうに感じます。夏のオリンピックは56年ぶりの舞台になりますけれども、日本は1972年の札幌オリンピック、そして長野オリンピック、また大規模な国際スポーツイベントとしては、2002年の日韓ワールドカップを開催しております。日韓のワールドカップは、2001年9月11日の米同時多発テロの後でしたから、世界的にテロが懸念された大会でした。決勝は横浜で開催されましたけれども、厳重な警備を私もよく覚えています。しかし、運営だとか移送、宿泊といったホスピタリティという意味で、日本はほぼパーフェクトだったと思います。
つまり、この先の6年間の運営の準備という面を考えると、もちろん細かい問題はいろいろ出てくると思いますけれども、恐らく東京はしっかりとオリンピックの運営ができる。かつてのオリンピックのスポーツ施設もたくさんありますし、有効活用しながら準備をしていけば、東京はオリンピックそのものに関しての運営面では問題ないと思います。ただし、高度経済成長期にやった前回の東京オリンピックは日本の開発のためのオリンピックでしたが、今回はその残像を追うことなく、日本らしいやり方を見つけていければと思っています。
東京オリンピック組織委員会の会長は、元総理大臣の森喜朗さんです。浅田真央さんの話も含めて、いろいろにぎわせていますけれども、ソチオリンピックの海外メディアに向けた記者会見ではすごくいいことを言っているなと思いました。ソチオリンピックの運営経費が5兆円かかっている話を例に出して、日本はお金をたくさんかけて国の力を示すのではなく、平和な国としての姿や復興した姿、復興の支援を受けたことに対する感謝を世界に伝えるような大会にしたい。それで日本のたくましさや強さを示したいということを言っていまして、これはなかなかいい話だなと思いました。
ソチオリンピックの会場はあまりにも大規模過ぎて、冬のオリンピック会場という感じではありませんでした。太陽がさんさんと輝いて半袖でうろうろできるぐらいで、テレビの画面では銀世界が広がっていたと思いますが、あれは全部人工の雪です。人工降雪機を持ってきて一晩中雪を降らせて、その雪を維持するために塩とドライアイスをばらまきまくって維持し、翌日にはまた人工降雪機で雪を降らせて、地球環境にどう配慮するのか、というような、かなり厳しい大会だったと思います。つくられた五輪というのがソチオリンピックの印象で、お金をかければ何でもできるのかというのがソチの反省点だったと思います。
東京でも、大規模な開発をする大会ではなくて、まずは世界に約束した国内の復興、そして若い人々への希望ということに全力を尽くすような大会であってほしいと思います。かつての東京オリンピックのように、幾ら幾らの建設費をかけてこんなきれいなところをつくりましたというのをアピールする大会ではなくて、まずやはり国内のことをしっかりして海外の人を迎えるという大会になってほしいというのが私の考えです。
ソチオリンピックで非常に印象に残ったのはボランティアの人々です。ボランティアの大半が大学生でした。ロシアはロシア語が第一言語でしたが、彼らは学んだ英語を駆使して選手やメディアと必死に交流していました。私は彼らの1人に話しかけられたことがありまして、「どこから来たの?」と言うので、「日本です」と。「日本はいいところだね。僕らの国のことをどう思う?」と聞くわけです。「これだけの大会をやっているのだから、いい国だよ。自信を持って」と言うと、「そうだよね」とすごくうれしそうな顔をしていました。お互いにつたない英語でしたが、何か接点を持つことによって彼らの意識も世界に目が向いたと思うし、私もロシアの人々はよかったなという印象があります。
東京オリンピックではボランティアを8万人募集するそうです。実際に募集が始まるのは2016年と聞いていますけれども、東京五輪の前後、彼らの年代になるとしたら今の中学、高校生の年代ですから、少しでも英語を磨いてボランティアになってほしいなと。言葉が特別うまくなくてもいいからとにかく外国人と交流して、何より東京オリンピックが若い人たちが国際化に向けて何かを感じる機会であってほしいと思います。
実は、ロンドンオリンピックのボランティアはシルバー世代が多かったです。シルバー世代は時間もありますし、経験も豊富ですし、スマートな判断力もありますから、これからの6年間で少しでも英語を勉強して、ボランティアになるなりして国際交流というのを楽しめるような大会になってほしいなとも思います。私も英語が得意でアメリカに渡ったわけではなかったですが、アメリカで学んだ英語の秘訣は「臆さないこと」です。日本人は、きれいな文法や発音を意識して、ぼそぼそと言っちゃうところがあると思いますが、堂々と話すと通じるというのが私の実感でありまして、気合いの英語で5年間を過ごしてきたという印象があります。英語には自分の思っていることを伝えるという意識が必要だというのが大事だとアメリカ生活で学びました。ですから、シルバー世代と言われる方が英語を勉強してボランティアに参加をするときは、伝えるということを重視すれば、十分に外国の観光客には伝わっていくと思います。
ブエノスアイレスのIOC総会で新会長になったトーマス・バッハさんはドイツの方で、弁護士です。もともとフェンシングの選手でしたが、1980年のモスクワオリンピックがボイコットになって出られなかったことが非常に悔いになっていまして、選手を重視する方針にしています。彼が一番着手したのがオリンピックの改革です。オリンピック憲章によりますと、東京オリンピックの実施競技というのは7年前に決めることになっています。つまり、2013年、この間レスリングが復活しましたよね。ただ、改革に乗り出すことになりまして、その第1回の話し合いがソチオリンピックのときに始まりました。
ここからは野球とソフトボールの五輪復帰の可能性について、お話ししたいと思いますが、IOCは7年前に決めるというオリンピック憲章を柔軟に対応していこうと。7年前じゃなくてもいいじゃないかというのが改革の一つの方向性です。恐らく今年の年末に柔軟に対応しようということは決まると思います。そこで初めて野球とソフトボールが復活できるかできないかという話になります。つまり、本来は7年前に決まっているものだけど、柔軟に対応していくのだったら野球とソフトボールを入れてもいいのではないか、という議論が出てくると思います。
では、実際の実現の可能性はどれぐらいあるのかというと、2つ要素があると思います。IOCには各専門委員長がいますが、競技委員長というのが恐らく実施競技に関する議論を取りまとめる人です。そこの人にプロパーの職員の部長という人がいる。これがまず第1点です。
第2点は、テレビ放映権です。この間のソチオリンピックのときに、スノーボードのスロープスタイルだとかフリースタイルといった競技がありましたが、あれが全世界でものすごく若者受けがよくて、テレビ視聴率が上がったというデータをIOCは持っています。つまり、柔軟性を与えるという議論において一つのポイントになるのが、それがテレビ視聴率につながるのかという話です。これは先ほど言った部長クラスが考える話で、若者受けする競技をオリンピックの中に入れれば、これだけ財政が安定するということになってくるわけです。例えば東京オリンピックのときに新しい競技を入れるという話になると、スケートボードとかBMXが実施競技に柔軟性を与えるときに入ってくる候補として既にアメリカのメディアでは報じられています。ですから、日本が求める野球とソフトボールの復帰というのがどこまで東京オリンピックのメリットになるのかを説得するということとの駆け引きになると思います。現状の見通しで言うと、野球とソフトボールの復帰に関してはまだ予断を許さない。柔軟性を与えるというところにまではいきますけれども、それが即野球とソフトボールの復活につながるかといえば、そうとは言い切れないと思います。
IOCの方に、「東京には野球ができる会場があるのか」と言われたのですが、これは何を意味するかというと、日本の野球に対する熱というのをIOC委員の方は実は正確に理解していない。つまり、受け入れ態勢が整っているということが正確に伝わっていないのではないかと思いました。ですから、柔軟性を与えるという結論になった後には、日本が野球をやることに関する熱意や、受け入れることができることを正確に伝えていかない。
「野球の復活の可能性はどれぐらいあるのか」とIOC委員の方々に聞いたところ、一つのハードルとしては「最高メンバーだ」と言われました。つまり、大リーグの選手が来るかどうか、ベストのメンバーが来られるかどうかが一つのハードルだというわけです。そこで、大リーグ機構(MLB)を取材してみると、「なかなかリーグ戦を中断してオリンピックのほうに派遣するというのは、できないよね」と。ましてや、大リーグではドーピング、禁止薬物の使用が正直言って広がっています。オリンピック基準で検査したら、ばたばた捕まる可能性があります。そういうふうになったときに本当に選手をNBAやNHLのようにオリンピックに派遣するのかどうか。まずそこが野球に関しては一番大きなハードルではないかと思います。
また、女子の競技としてソフトボールだけ押してきたらどうかという言い方をする人もいました。IOCは今、男女平等を掲げておりますので、女子の競技の発展をものすごく意識しています。この間、高梨沙羅さんが出ましたが、女子ジャンプが入ってきたり、女子のレスリングの階級が広がったりと、女子の参加を非常に意識しています。ですから、女子の団体競技として野球とは切り離してソフトボールだけという案も、少しあるようです。最終的な見通しはどうかというと、12月に実施競技に関しては柔軟性を持たせようという結論が出た後に、どっちのほうに進んでいくかというのを注意深く見ていかなければならないかなと思っております。
最後に、田中将大選手の話をちょっとしたいと思います。田中選手は25歳だったと思います。実は、アメリカは今、ツイッターが全ての一報です。田中将大選手の交渉は、彼の代理人の考え方で一切表に出てこなくて、みんな疑心暗鬼になって探していた。ある朝、9時43分に大リーグのテレビ放映権を持っているFOXスポーツの解説委員が「ヤンキースに決まった」とツイッターで流して、その後、追いかけでどんどん情報が出てきた。その2時間後にヤンキースから正式発表されたというのが経緯です。
彼は、松井秀喜選手の専属広報の方や松井秀喜選手とコンタクトを取って、メジャーリーグでどうやって生きていくかというのを学んだようです。ですから、基本的な姿勢というのはかなりオープンな対応をしてくれます。アメリカではクラブハウスと言いますが、選手ごとにロッカールームがあります。ロッカーのほうに背を向けている選手には、メディアからすれば話しかけづらい。でも、田中選手も松井選手もメディア側に向いて座って、クラブハウスがオープンになっている時間はどんな記者が話しかけてきても日米に限らず対応するという、非常にオープンな姿勢でした。私が実際に田中選手の取材をしたのは2週間ぐらいでしたが、非常に好感を持てました。アメリカのメディアからも滑り出しは上々だったと思います。彼のそういうオープンな姿勢はニューヨークのメディアにおいては受け入れられたようで、デビュー戦としてはピッチング以上に非常にうまく滑り出したなというのが正直な印象でした。
野球に詳しい方もいらっしゃると思いますので、ピッチングのことはあまり多くは申しませんが、アメリカのマウンドは非常に硬い。試合前に毎回毎回、鉄板でがんがんがんがん叩いているので、コンクリ並みに本当に硬いというのがアメリカのマウンドです。松坂選手も藤川選手も和田選手もそうですが、日本の選手は海外に渡ると何であちこち痛めるだろうと思われるかもしれません。これはもちろん、もともと日本から引きずってきた古傷はあると思いますが、やはりボールの質量の変化であったりとか、マウンドが硬いことによって体に加わる衝撃だったりとか、そういうところで日本との違いがあって体が悲鳴を上げているというのがアメリカ側での見立てです。松坂選手が脇腹を痛めたのも、左足で踏み込んだときに衝撃が加わった。ボールを振ったときに重さが違うから肘に負担がかかっているとか、いろいろな言われ方をしております。
田中選手は、今は2勝を上げてかなり上々に滑り出していますが、7年契約をしているわけですから、契約期間中にけがなく全うしていくということで、彼が本当に成功したかどうかが評価されると思います。松坂選手も2年目までは快調に飛ばしましたけれども、あとの契約の4年はけがが増えました。こういうふうになると「あれは大失敗だった」と言われてしまうわけです。ダルビッシュ選手も今年3年目になりますが、去年の暮れぐらいから体に痛みが出ることがあります。専門家の人に聞くと、やはりマウンドの衝撃があって、硬いマウンドにおいての投球のために体を慣れさせていく過程の中で無理がきているのではという見方です。今年の開幕戦の開幕投手に指名されましたが、首を寝違えたと本人は言っていました。あれも結局、投げるときに負担がきていることによる痛みではないかと言われています。
田中選手も滑り出しも上々だったという状況において、彼が本当にヤンキースの一員だと言われるようになるためには、継続的な活躍をする。継続的な活躍をするためにはどうしたらいいかというと、やはりけがに対しては細心の注意を払っていかないといけないかなというところだと思います。そこで初めて「田中を160億円かけて取って大成功だった」と言われる状態になるので、やはり長い目で、2年、3年、4年というスパンで彼がニューヨークでどうやって生きていくかというのを見ていかないと、彼がヤンキースに行ったことが成功なのか失敗なのかというのは、すぐには言えないと思います。
(了)